最近の論文・意見書・随筆

  を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関誌2022年6月号

 

 緊急事態条項の危険性

                                    

1 憲法審査会の現状

 202248日の宮崎日日新聞記事には、-緊急条項の新設「理解得られた」衆院憲法審で自民-との記事が掲載されている。

 衆議院憲法審査会は、210日に始まり、ほぼ毎週開催されている。新型コロナ感染拡大を受けて、オンラインによる国会審議についての早急な議論等が必要として始まった衆議院憲法審査会は、現在、自民、公明、維新の会、国民民主などの改憲派委員が、感染症や大災害、ロシアのウクライナ侵攻のような国家有事に備えて憲法に緊急事態条項を創設すべきとする議論を行い、緊急事態下における国会議員の任期延長についての意見のとりまとめを行うべきとの発言も出されている。

2 憲法審査会における今後に想定される事態

 安倍政権時にとりまとめられた自民党改憲4項目案は、①憲法9条に自衛隊明記、②緊急事態条項の新設、③合区解消、④教育充実(高等教育無償化等)であるが、新型コロナ感染症やロシアのウクライナ侵攻などの状況の中で、泥縄的に、上記②の緊急事態条項に関する先取り的な改正論議が進む可能性がある。

3 緊急事態条項とその危険性

⒧ 緊急事態における国家緊急権の定義(通説的見解)

 国家緊急権とは「戦争・内乱・恐慌・大規模自然災害等、平時の統治機構をもってしては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するため、国家権力が立憲的な憲法秩序を一時停止して、非常措置をとる権限」(芦部信喜)と定義される。憲法に国家緊急権を規定するのは、立憲主義とは相反する条項を予め入れ込んで、立憲主義を空洞化し、民主主義を破壊する危険を有することになる。

 ⑵ ドイツの例

ドイツでは、ワイマール憲法の大統領非常権限に基づき、緊急命令が発せられ、例外規定の常態化を招いた。1933年、首相となったヒトラーは、大統領の緊急命令を根拠に、政敵の選挙集会の強制解散、機関誌の発禁処分、警察官の政敵への武器使用の容認などを行った。また、これを根拠に「全権委任法」を成立させた。ドイツでは、大統領非常権限 に基づき発せられた緊急命令によりヒトラーの独裁政権が樹立され、その後ユダヤ人の大量虐殺等の重大な人権侵害が行われたのである。

⑶ フランスの例

フランスでは、1961年に起きたアルジェリア反乱に対して、ド・ゴール大統領が第5共和国憲法に基づき緊急権を発動した。その後 反乱自体は鎮圧されたが、5か月間延長された。その間、強制収容の対象となる危険人物の範囲の拡大し、出版の自由の制限が行なわれた。なお、2015年に発生したパリ同時多発テロに対し憲法上の緊急権に基づくものではないものの、法に基づき「緊急事態宣言」が発令され、その後4回延長され現在に至っている。そこでは、疑わしい人物の自宅軟禁やテロを称賛した宗教施設の閉鎖などが可能と報じられ、濫用が懸念されている。

⑷ 日本の例(天皇による緊急勅令)

大日本帝国憲法においては帝国議会閉会中に「緊急の必要がある」場合に法律に代わるものとしての緊急勅令の制度があり、108本の緊急勅令が制定された。

1923年に起きた関東大震災において、戒厳令の一部を緊急勅令に基づき施行するなど適用範囲が拡大され、軍隊や自警団が朝鮮人等を虐殺し、「大杉事件」など無政府主義者 や社会主義者が憲兵や警察により殺害される事件が起きた。また、1928年の治安維持法の改正(国体変革に死刑を導入する重罰化、目的遂行罪の追加による処罰対象の拡大)は、議会で成立しなかった法案を緊急勅令で成立させたものである。

⑸ 日本国憲法制定の過程での国家緊急権の議論

1946年の衆議院帝国憲法改正案委員会での政府答弁は、「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護致します為には、左様な場合の政府一存に於いて行いまする処置は、極力之を防止しなければならぬのであります。言葉を非常と云ふことに藉りて、その大いなる途を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実を其処に入れて又破壊せられる虞れ絶無とは断言し難い」(90回帝国議会:金森徳次郎国務大臣答弁)であった。金森徳次郎は法制局長官を歴任し、憲法制定時における憲法担当の国務大臣として、政府の議会における答弁を担った。日本国憲法は、国家緊急権の導入を明確に拒否したのである。

4 緊急事態を理由とする改憲は不要であり、法律改正で対応できること

⒧ 法律が存在すること

戦争・内乱・大規模自然災害・パンデミックなどの対応については、すでに充分な法律が整備されており、憲法に緊急事態条項を置く必要性はない。

法律で足りないところがあれば、法改正を行うことこそが国会の責務である。何より重要なことは実際に予想できる特殊な緊急事態に備えて、平素から対応を考えて準備をしておくことである。そのために、立法及び法律改正が必要であれば、濫用の虞れがないよう審議を尽くして、法令を完備しておくことこそ重要である。

⑵ 中央への権限集中は必要がないこと

 緊急事態条項(国家緊急権)は、中央政府に権限を集中させることが災害対策に有効であるとの考えに基づくが、自然災害に直接対応するのは都道府県、市町村などの地方自治体や各種団体である。被災地域の実情に通じているこれら地方公共団体等こそが災害へのきめ細やかな対応 を行うことができるのであり、それが被災者等の人権保障につながるのである。このことは、日弁連が20159月に東日本大震災の被災三県の37市町村に対して実施したアンケート結果にも表れている。

5 国会議員の任期延長改憲は不要である

大規模災害等で選挙ができないと国会議員が不在となって国会の機能が維持できないから、国会議員の任期延長を認める改憲が必要であるなどの議論がなされている。

しかし、憲法は「参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに議員の半数を改選する」と規定する。したがって、参議院議員が同院の定足数(総議員の3分の1)を欠くことはない。衆議院の解散後に緊急事態が発生した場合には、参議院の緊急集会を開催し緊急事態に対応することは可能である。憲法はそのような事態をも想定して参議院の緊急集会を規定している。

また、衆議院議員の任期満了の場合でも、任期満了により選挙ができないような状況が生じないよう、任期満了までに必ず衆議院選挙を行うような公職選挙法31条等の改正で解決できるのであって、そもそも改憲は不要である。

緊急事態における国会議員の任期延長は、以上のとおり、国民主権・民主主義の根幹にかかわる議論であり、権力による濫用の危険が極めて高く、立憲主義を破壊する危険がある。憲法審査会で軽々に議論をして、しかも多数決でとりまとめるなどといった暴挙は、許されない。


9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関誌 20229月号掲載原稿)

 

安倍晋三元首相の国葬に反対する 

 

1 岸田首相の国葬発表と内閣による決定

202278日、参議院選挙のさなかに安倍晋三元首相(以下「安倍」という)が一青年の凶弾により死亡した。もとより、人を殺害する行為は、どのような動機であれ許されないことは自明のことであるが、参議院選挙後、岸田首相は、はやばやと安倍の葬儀を国葬で行うと発表し、同年927日に実施することを閣議決定した。1967年、吉田茂元首相が国葬とされて以来のことである。

 なにゆえに、岸田首相がそのような決断をしたのか経緯の詳細は不明であるが、8年以上にわたる安倍政権による政治的行為総体を肯定し、これを広く全国民に共有させようとする狙いがあることは明白である。

 2 国葬の根拠は不明であること

しかし、おそらく多額(少なくとも数千万円)の国費(国民の税金)を投じて実施する国葬である以上、法令上の根拠もないままに国費を投ずることは、国政を預かる内閣の行為として許されない。

 まず、戦後の国葬は、吉田茂の例が一つだけあるとはいえ、明確な法令上の根拠はなく、吉田茂以外のこれまでの内閣総理大臣経験者は国葬とされては来なかった。それは法的根拠が明確でないという理由があるからであって、国葬を国会における議論を経ることもなく首相や内閣の一存でできるとする解釈が確立しているわけではない。

 しかも、吉田茂以降の戦後の内閣総理大臣の中で、日本国憲法の三大原則である基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の観点からして、安倍は、戦後最悪の首相と言って良い。


 3 安倍政治の残したもの

⒧ 最も非難に値することは、立憲主義、すなわち、法の支配を蔑ろにしたことである。歴代内閣が長く維持してきた集団的自衛権の行使は許されないとする憲法9条の解釈をおよそ説得力もない理屈で一方的に変更した上、憲法学者のほとんどが、そして歴代の法制局長官、最高裁長官経験者までもが違憲と断定し、広範な市民の反対運動が展開された集団的自衛権行使の容認を含む安保関連法案を強引に成立させた。これにより、日本国憲法の平和主義が形骸化し、市民の平和的生存権を脅かし、アメリカとともにいつでもどこでも戦争のできる国家へと変貌させた。

また、法の支配を無視する行為は、自己の意に沿う黒川東京高検検事長を検事総長に据えるために、検察庁法では許容していなかった検察官の定年延長を、国家公務員法の規定を適用するなどという法を潜脱する手法を使って強行したことにも表れている。そのような流れは、安倍政権の後継である菅政権における学術会議会員の任命拒否問題でも続いた。総理大臣には学術会議会員の形式的な任命権しかないという従来の政府見解を変更し、総理大臣が実質的審査権を持つがごとき解釈をしたのである。

 安倍は、米国や欧州諸国を訪問するたびに、「貴国と日本とは、民主主義と自由、法の支配と言った共通の価値観を有する国として」などと述べていた。しかし、安倍自身が法の支配など眼中にないかのような姿勢だったのである。そのような言辞を外国首脳の前で吐いていることに恥ずかしいとの思いはなかったのだろうか。

 このように、近代民主主義国家における原理である立憲主義、法の支配をズタズタにしたという1点だけでも、安倍を国葬に値する人物と評価することはできない。

 ⑵ しかも、安倍は、集団的自衛権行使容認の法律を制定する過程で、慣例を破って法制局長官を自らの信条に近い人物に据えるなど、権力の暴走を防止するために、歴史的経験を踏まえて培われてきた人事の慣行をも無視したのである。

 そして、秘密保護法,共謀罪法(組織犯罪処罰法の改正)の成立を図り、民主主義の根幹をなす「情報の公開」を封じ、秘密を扱う人物に対する国家による個人の思想・信条への介入を容易にする方向へと舵を切った。

 ⑶ また、安倍内閣は、野党議員が憲法の規定に基づき臨時国会開催を要求したのにもこれに応ずることなく、国会を召集した初日に解散するという暴挙を行うなど、みずからの都合のよい大義なき解散を幾度も行った。このような対応が憲法に違反するものであることは明白である。

 ⑷ さらに、安倍は、政権を完全に私物化した。安倍が教育勅語を子どもたちに教える思想において共感を抱いていたと思われる森友学園に、鑑定評価額95000万円もの国有地が13400万円で払い下げられた。また、安倍の長年の知人である理事長が経営する加計学園グループの岡山理科大学の獣医学部新設を認めている。文部科学省における正規の手続では、獣医学部新設が認められていなかったにもかかわらずである。さらに、社会的貢献をした人々をねぎらう趣旨の「桜を見る会」を、安倍後援会会員の接待の場ともした。前夜の一流ホテルでの後援会開催における政治資金規正法違反の事実も存在した。

 安倍は、「桜を見る会」の疑惑に関する野党などの国会における質問に対して、その後の調査で明確になったように11

8回にもわたる虚偽答弁を行ってもいる。また、みずからも「立法府の長」と何度も言い間違えたように、国会を軽視し、行政府の権限のみを強大化させたのである。

 

4 まとめ

 以上のように、安倍政治は、日本国憲法の理念を掘り崩し、富める者と貧しき者との格差を拡大し、社会における差別と分断をより深刻化させた。外交においても、日韓、日中の関係は悪化し、ロシアとの領土交渉においても何の成果を生むこともなかった。

このような安倍政治をまるごと肯定してこれを国民に押し付け、国家に貢献した人物として国費を投入する国葬とし、その功績をたたえるようなことを許してはならない。


9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関誌202212月号)

 

健康保険証とマイナンバーカードの一体化に反対する!

 

1 健康保険証と一体化したマイナンバーカードの取得の強制は違法

20221013日、河野太郎デジタル担当大臣は、紙やプラスチックの健康保険証を2024年秋に廃止し、マイナンバーカードと一体化した健康保険証に切り替えると発表した。しかし、マイナンバーカードの法律上の根拠は、2013年制定の「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」(以下「個人番号法」)にあるが、個人番号法によれば、マイナンバーカードの取得については、本人申請による任意取得が原則とされている(法171項)。後述するように、マイナンバーカードによる個人情報の漏洩・侵害等の危険が存することに配慮したためである。

したがって、政府が個人にマイナンバーカードと一体化した健康保険証の所持を義務づけることは、個人番号法に明らかに抵触するものであり、違法である。

2 個人番号制度の前身である住民票コード

⒧ 住基ネットの創設

マイナンバーカードの前身は、1998年の住民基本台帳法改正に基づく、いわゆる住基ネットとこれによる住基カードである。2002年から運用が開始され、これにより、それまで各地方自治体限りで登録・保有されていた住民基本台帳の情報が、国家単位で共有されることとなり、住民登録されている全住民(後に外国人住民も対象)に対し、漏れなく、重複しない、個人識別番号(11桁の「住民票コード」)が付され、希望する人には住基カードが発行されることとなった。ただし、住基カード取得は、あくまで各人の任意の申請によるものであり、カードは、顔写真付きのものとそうでないものとの2種類が発行されていた。

⑵ 住基ネットの危険と反対の動き

住基ネットは、様々な行政機関に散在する個人情報が確実に名寄せ・突合され、個人のプライバシーが丸裸の状態にされてしまう危険があった。そこで、当時、東京都杉並区、東京都国立市、神奈川県横浜市、福島県矢祭町など住基ネット接続に反対する自治体があった。また、住民から憲法13条で保障されたプライバシーを侵害するとして違憲訴訟が提起されたりしたが、結局、20083月の最高裁の合憲判決で決着がつき、2015年には全自治体でネット接続が行われるようになった。

3 マイナンバーカードの創設

⒧ 広範囲での利用が想定されていること

そして、住基カードに取って代わったのがマイナンバーである。20135月、安倍内閣の下、社会保障、税、防災分野に関する情報を効率的に情報連携するという目的で、全国民と外国人住民全員に、原則、生涯不変のマイナンバー(12桁)を付番し、その情報連携のためのネットワークシステムを構築するという個人番号法が成立した。

マイナンバー制度は、行政内部での利用が想定された住基ネットと異なっている。それは、納税者番号として、雇用主と従業員間という民と民の関係で用いられ、その情報が税務署等の官に提供されるという「見える番号」として創設されているからであり、住民票コードとの比較で、その利用分野が格段に広くなるものである。しかし、その利用分野が住基ネットと異なって行政事務に限定されず広範なものとなればなるほど、当然ながら、個人のプライバシーが侵害される危険が増大し、個人情報を自己でコントロールする権利は危殆に瀕することになる。

また、マイナンバーカードは、2種類あった住基カードとは異なって、本人確認と個人番号確認を1枚のカードでできるよう、住所、氏名、生年月日、性別の4情報と顔写真が表面に表示され、裏面には個人番号が付されるタイプに一本化されている。そして、日本政府は、このようなカードを当初の目的を拡大して、官民を問わず公的な個人認証機能の多目的な利用を促進しようとしている。健康保険証や運転免許証と一体化したカードの義務化や個人番号に基づく銀行口座開設等である。

こうして、個人情報がどこで誰によりどのような目的で利用されるか、利用される個人が全く把握することもできないという社会になることは必至である。

⑵ 顔認証システムとの連携による個人管理体制の強化の危険

マイナンバーカードの顔写真は、その顔画像データがICチップに登載され、顔認証システムにより本人確認で利用できることが予定されている。顔認証システムとは、不特定多数人の顔画像を収集し、個々人を特定するための特徴点を数値化したもの(顔認証データ)を作り、これらと予め作成した特定人の顔認証データとの一致を検索して、その同一性を照合する制度である。マイナンバーカードと健康保険証との一体化は、既に2021年から始まっているが、一部医療機関の窓口においては、健康保険証機能付きマイナンバーカードのカードリーダーが設置され、顔認証システムにおける本人確認や、これを条件とした患者の一定期間の診療情報の共有が開始されているという。

中国では、顔認証システムが徹底して使われているようだ。全土に6億台の顔認証機能付きの街頭監視カメラを設置し、別途、住民全員の個人情報データベースを作成して検索できるようなシステムを構築し、さらに、信用スコア(個人に紐付くさまざまなデータを基にAIが個人の信用力を評価し点数化したもの)と連動させて人々の行動を監視しているというのである。ここでは、顔認証システムを利用した監視社会が既に実現しているのである。

4 マイナンバーカードの持つ危険

 政府は、2021年に内閣総理大臣を長とするデジタル庁を設置し、そこを司令塔として、マイナンバーカードを全住民に付与させようと必死になっている(既に50%以上が持っているとされる)。マイナンバーカードを取得した人に対する税金を使ったマイナポイント制の付与や今回打ち出された健康保険証との一体化、さらに運転免許証との一体化もその方法の一つである。そして、マイナンバーカードの当初の目的であった税、社会保障、災害の分野での利活用を拡大して、行政機関の全部及び民間事業者による情報監視の基盤整備を図ろうとしているのである。

しかし、そのような誰が自分の個人情報を把握しているかも当該個人に把握できないようなネットワークシステムの構築は、明らかに個人のプライバシーを侵害し、自己情報コントロール権を喪失させるものである。また、健康保険証と一体化したマイナンバーカードは、常時持ち歩くことを想定しているが、置き忘れや紛失の危険があり、そうなった場合には、集約された個人情報が一挙に漏洩することになりかねない。また、カードの一元化は、公権力による個人情報の把握を強化して、自主的・民主的統制を弱体化させかねない。加えて、顔認証システムと連動したネットワークシステムの構築は、強力な監視社会を実現し、人の自由な生活を抑圧する危険がある。

人間の自律性と民主主義を守るために、マイナンバーカードの取得を義務化させる動きには断固反対せざるを得ない。


9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関誌20233月号

 

敵基地攻撃能力の保有は憲法9条に違反する


 1 敵基地攻撃能力保有についての政府見解

20221216日、岸田内閣は、政府の外交・安全保障の基本方針を示す「国家安全保障戦略」、日本の防衛指針を示す「国家防衛戦略」、具体的な装備品の整備と防衛費の総額を定める「防衛力装備計画」を改定し、敵基地攻撃能力を保有し、防衛費を5年間で43兆円にするという防衛費倍増計画を閣議決定した。

そして、敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条に違反するものではなく、日本防衛が政策として取ってこなかっただけであって、閣議による安保関連三文書の改定は、憲法解釈の変更ではなく単なる政策の変更にすぎないと説明している。

しかし、果たしてそうだろうか。 

2 敵基地攻撃能力保有は憲法9条違反である

⒧ 1956年鳩山見解

政府が合憲と解釈する根拠は、1956年の鳩山一郎政権における次のような見解である。「わが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、・・そのような攻撃を防ぐに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」(昭和31229日衆議院内閣委員会答弁:鳩山一郎=船田中防衛庁長官代読、以下「鳩山見解」という)。

しかし、ここでいう「基地をたたく」という意味は必ずしも明らかではない。これが、固定的な相手方発射基地からの誘導弾等を想定し、これに対する反撃として日本から誘導弾等を発して相手方の基地を攻撃することであれば、それは日本の領域外に対する攻撃であり、かつ、日本が攻撃的兵器を保有していることを前提とするから、当時の政府の憲法解釈からしても「自衛」=専守防衛の範囲を超えるものとして違憲とされたであろうことは、明らかである。

⑵ 1959年伊能防衛庁長官の見解

現に、その3年後の1959年、政府は、「法理的には自衛の範囲に含まれる」との鳩山見解を踏襲しつつ「しかし、このような事態は今日においては現実の問題として起こりがたいことでありまして、こういう仮定の事態を想定して、その危険があるからといって平生から他国を攻撃するような攻撃的な脅威を与える兵器を持つことは憲法の趣旨とするところではない(昭和34319日衆議院内閣委員会・伊能熊次郎防衛庁長官)」として、平時における攻撃的武器保有が憲法の趣旨に抵触するとの見解を示しているのである。

⑶ 1970年中曽根防衛庁長官の見解

また、1970年、中曽根康弘防衛庁長官は、「日本の防衛の限界につきましては、専守防衛を主とする、旨とする。これははっきりしております。そして具体的には、通常兵器による限定戦以下に対処するということであります。限定戦と申しますのは、まず、目的において防衛に限るということ、地域において本土並びに本土周辺に限るということ、手段において核兵器や外国に脅威を与える攻撃的な兵器を使わない、そういう三つの限定的要素が確立されていると思います」(1970年、参議院本会議)と答弁している。

⑷ 1988年瓦力防衛庁長官見解

さらに、1988年、瓦力防衛庁長官は「個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃型兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されない。例えば、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えている」(198846日参院予算委員会、瓦力防衛庁長官)と答弁し、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の3種は保有できないと断言している。

⑸ 小括

すなわち、これら歴代の防衛庁長官の発言は、憲法9条の規範として自衛隊は「専守防衛」に徹するとの縛りがあることを前提に、自衛の領域(海外に出ない)と保有兵器の限界を意識して発言していたことは明らかである。したがって、1956年の鳩山見解を根拠に、歴代政府が、敵基地攻撃能力兵器を保有することは憲法上は許容されるが、政策的にしてこなかったのだという説明は、事実にも反するものであり、憲法9条の解釈としても許容できないものであることは明らかである。

また、鳩山見解が示された1956年の時点で、現実としては、他に手段がなかったわけではない。それ自体の違憲性の問題は別として、1951年に日米安保条約条約が締結され、日本には米軍が駐留していた。日本が急迫不正の侵害を受けた場合には駐留米軍の援助を仰ぐ手段もあったことになるのであり、日米安保条約制定後は、鳩山見解でいう「他に手段がない」との前提が崩れるのである。その後の歴代内閣は、安保条約の存在を前提に、米軍が「矛」、自衛隊は「楯」に徹するとの考えを維持してきた。

結局のところ、鳩山見解は「法理的には」とあるように、「自衛」の概念を頭の体操的な理屈として述べたものにすぎないと見るべきであり、1954年に自衛隊を創設し、自衛のための実力部隊を持つことを容認する憲法解釈をした政府が、1956年の鳩山見解によって、敵基地攻撃能力を持つ兵器の所持をも肯定したものということはできないというべきである。敵基地攻撃能力を持つ兵器の保有問題が、憲法9条と無関係な「政策判断」であるはずがないのである。 

3 安保関連下での敵基地攻撃能力保有の持つ意味

2015年の安倍政権の下で成立した安保関連法によって、日本は集団的自衛権行使を認め、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本に存立危機事態が発生したときには、いつでもどこでも武力行使をすることが可能となった。

これを受け、改定された国家安全保障戦略には、「この政府見解(鳩山見解)は2015年の平和安全法制に際して示された武力行使の3要件(安倍政権で改定のもの)の下で行われる自衛の措置にも当てはまるものであり、今般保有することとする(敵基地攻撃)能力は、この考え方の下で、上記3要件を満たす場合に行使し得るものである」としている。すなわち、「存立危機事態における敵基地攻撃は可能」としているのであり、そうなれば、米軍が攻撃された場合、日本は攻撃されていないのに、日本が米国の交戦相手を攻撃できるということになる。まさに、国際法上も容認されない先制攻撃を許容するものである。

憲法9条を持つ日本は、国際法上許容されない先制攻撃をしないことは当然であり、国際法が許容することであっても追随せず、専守防衛に徹する国、海外での武力行使をしない国として存在してきた。これを根底から覆すのが、岸田内閣による敵基地攻撃能力保有の閣議決定である。政府のいう抑止力を理由とする敵基地攻撃能力の保有は、憲法に違反するというだけでなく、東アジア全体の軍事力強化を促し、地域の不安定化をもたらすことは必至である。憲法を守れというだけでは解決しない事態が進行している。あらゆる機会に異議申立てをしていかなければならない。


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9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関紙2023年6月号)


植民地支配に対する政権の歴史認識の欠如

 ⒧ はじめに

 現政権に欠けたるもの、一つは歴史認識の欠如である。

 韓国政府は、202336日、「徴用工問題解決策」を日本政府に提示した。徴用工を使用した日本製鉄と三菱重工業の賠償支払いを韓国政府傘下の日帝強制動員被害者支援財団が肩代わりし、財団の賠償金は韓国企業(日韓請求権協定による寄付で恩恵を受けた企業等)の寄付金によってまかなうとする案であり、日本政府はこれを受け入れた。

 しかし、これは韓国の人々とりわけ日本の植民地支配に辛酸を舐めた人々には禍根を残し抜本的解決にはならないことは明白である。

 徴用工問題の解決に必要なことは三つある。

第一に、日本政府の植民地支配と戦争による加害に対する謝罪である。岸田首相は、個人的には「心が痛む」(202357日韓国での岸田発言)と、慰安婦問題で安倍元首相が使用した同じような第三者的な感想を語ったとのことであるが、植民支配の当事国の代表者としての自覚を欠いた発言というしかない。

 第二に、日本企業の被害者に対する賠償である。賠償を命じたのは韓国大法院の判決であるが、国際社会にあっては、グローバルな活動を展開する企業に対し外国の裁判所が賠償を命じることは、決して珍しいことではない。司法の判断は尊重されるべきであり、それに従うことが必要である。

 第三に、後述する中国人連行問題での解決に倣って、徴用工問題を歴史に刻み込むためのモニュメント構築やその記憶を失わないための継続的交流が必要であろう。

 ⑵ 何が問われたのか

 ア まずは、朝鮮半島に対する日本の侵略の歴史を簡単に振り返っておきたい。

1910年 日韓併合条約による朝鮮半島における植民地支配

 1931年 満州事変

 1937年 日中戦争

 1938年 国家総動員法

 1941年 日本政府直属の組織「鉄鋼統制会」(基幹軍需事業体の指導機関)、朝鮮半島での労働者動員、日本製鉄社長が統制会会長

1942年「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による労働力の徴用

1944年 国民徴用令による一般韓国人による徴用

 イ 韓国で損害賠償訴訟の原告となった人たちは、1920年代に朝鮮半島で生まれた人たちであり、1941年~1943年にかけて日本において労働に従事させられた10代から20代そこそこの若者である。

 ウ 彼らの労働実態は、18時間の交代勤務、1月に12度しか外出できず、1月に23円の小遣のみの支給であり、賃金のほとんどを管理(預金通帳も印鑑も寄宿舎の舎監が管理)され、火傷の危険がある苛酷な労働に従事し、提供される食事は貧困であり、警察官による寄宿舎の監視が行われ、逃亡を企てようとする者への舎監による暴行があり、戦争の激化により死亡した人も、賃金の支給もないままの朝鮮半島への移住させられた人もいた(20181030日韓国大法院判決)。

 エ そのような人たちが、勤務先であった新日鉄や三菱重工に対する慰謝料請求を裁判所に訴えたのである。争点は、裁判所がそのような慰謝料請求を認めるか否かにあった。

 ⑶ 1965年日韓条約と請求権協定

 ア 195198日、サンフランシスコ平和条約が締結された。サンフランシスコ平和条約4条(a)「日本統治から離脱した地域の施政当局及びその国民と日本及びその国民の間の財産上の債権・債務関係は上記当局と日本の間の特別取極により処理する」と規定していた。

 イ そこで、サンフランシスコ平和条約の締結当事者でない韓国は、日本との交渉により、1965年、日韓条約及び日韓請求権協定を締結した。その内容は、以下のようなものであった。

 「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、 19519 8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a) に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」

 ⑷ 日韓請求権協定の解釈を巡る争い

 ア 日韓条約及び日韓請求権協定を巡っては、当時から玉虫色の解決と称されたように、植民地支配の合法性を巡っての日韓双方の解約の違いを含めて、双方による解釈の相違が存在していた。

イ 徴用工を巡る訴訟における韓国大法院判決の論理は、以下のようなものであった。

 「本件で問題となる原告らの請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(強制動員慰謝料請求権)である。日韓請求権協定では、強制動員慰謝料請求権は対象外で「完全かつ最終的に解決された」権利には含まれていない」。

 これに対し、強制動員慰謝料請求権を含めて全ての請求権も協定により完全かつ最終的に解決されたとするのが日本政府の立場であり、日本政府の立場から日本企業には判決に従う必要はないとの姿勢を取ったのである。

 ⑸ 個人の権利が国家により消滅させられるのか?

 そもそも、これについては、国家間の条約により、国家に交渉を委ねたわけでもない個人の請求権が消滅させられるのかという根本的な問題があった。

ア 原爆により被害を受けた広島市民が日本政府に対して、政府がサンフランシスコ平和条約により国民のアメリカへの賠償を放棄したのであれば、日本政府がその肩代わりとして補償をすべきであるとして提起した裁判(原爆裁判)において、日本政府は、次のような見解をとっていた。

「対日平和条約第19(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない。 国家が個人の国際法上の賠償請求権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利が外国との合意によって放棄できることは疑いないが、 個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、 国家の権利とは異なるから国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。従って対日平和条約第19 (a) にいう 「日本国民の権利」 は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交保護権のみを指すものと解すべきである」。

すなわち、原爆被害者の被害の悲惨さを前にして、日本政府は、国が被害者の権利を喪失させたとは言えなかったのだと思われる。

イ この理は、1956年の日ソ共同宣言はシベリア抑留被害者のソ連政府へに対する損害賠償請求権を日本政府が消滅させたとして被害者が日本政府に補償請求した裁判(シベリア抑留訴訟) でも踏襲された。

「日ソ共同宣言 62文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交的保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。ここに外交保護権とは、自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利である」。

ウ 要するに日本国は、サンフランシスコ平和条約・日ソ共同宣言の請求権放棄条項によって放棄したのは国家の外交保護権のみであり、被害者個人の米国やソ連に対する損害賠償請求権は消滅していないから、日本国は被害者に対して補償する義務はないと主張したのである。

 ⑹ 政府解釈の変更と日本の最高裁の立場

 ところが、政府はその後、従前のとおり、個人の実体的請求権は消滅しているものではないが、裁判上の(訴訟による)行使ができなくなったと主張するようになった。

 最高裁は、これを受け、平和条約の枠組みという理由を挙げて「個人の請求権について(裁判所に訴えて)民事裁判上の権利行使をすることはできない」(最高裁2007427日判決「中国人連行・西松建設事件」)とした。国家が放棄したのは外交保護権であるが、そのような国(行政府)のした権利放棄を前提にすると、国の三権の一翼を担う裁判所においても、国家機関として救済に手を貸すことはできなくなるという理屈のようである。

 ただ、上記のような判断をしながらも「当該裁判上訴求する権能を失わせるにとどまると解するのが相当であり、個別具体的請求権に基づき、債務者側において任意に自発的対応をすることを妨げられない」とし、「本訴請求は、日中戦争の遂行中に生じた中国人労働者の強制連行及び強制労働に係る安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償請求であり、前記事実関係にかんがみて本件被害者らの被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであったと認められるが、日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず、自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められないというべきである。なお、サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても、 個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ、本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と判示したのである(上告人を含む関係者とあるのは、国を示唆するものと考えられる)。

(7)中国人連行労働事件の和解による解決

 ア 以上のような最高裁による事実上の和解勧告を受けて、裁判では西松建設が勝訴したものの、会社が以下のような和解に応じ、自主的な解決が図られた

 「①会社(申立人) は受難者遺族 (相手方)に対し、相手方が受難した事実を認め、歴史的責任を認識し、深甚なる謝罪の意を表明した。②申立人と相手方は、後世の教育のため、本件を記念する碑を建立する。③申立人が相手方に金員を拠出し、西松安野友好基金を設置して、運営委員会で利用を進め、受難者に対する補償に加え、未判明者の調査費用、前項の記念碑の建立費用、受難者の故地参観・慰霊のための費用などに支弁する」。

 そして、和解で示された事業は、①20101023日 「受難之碑」の建立除幕式 、②201010月~201710月 祈念する集いの実施、中国人受難者遺族の来日、中国国内で受難者の調査、認定、 補償金支払、③201810月までに、248名の労工の幸存者遺族に補償金を交付として実現していったのである。

 イ 中国人連行問題については、西松建設事件以外にも、鹿島建設(花岡)事件、三菱マテリアル(全国)事件があるが、西松建設事件と同様の和解をしているのである(時系列的には、鹿島、西松、三菱の順である)。

⑻ 政権の姿勢に問題があること

 日本政府は徴用工を巡り、朝鮮半島に対する植民地支配に対する真摯な反省と謝罪をする姿勢が全くなく、韓国大法院判決が国際法に違反するものだと他国の司法判断を激しく非難している。

しかし、日本の最高裁と韓国の大法院とで結論としての判決は分かれたが、徴用工が受けた人権侵害の程度が著しかったこと、被害の悲惨さは日本の裁判所も韓国の裁判所も同じように認定していた。その人権侵害を目の当たりにして、司法として何ができるかが問われたのがこの徴用工問題である。

日本の裁判所においても、少なくとも個人の実体的請求権は失われていないと認めている以上、日本政府は、日本企業の徴用工に対する賠償に関し少なくとも日本企業の自主的解決を妨害しないとする姿勢が必要なのではないか。それがありさえすれば、企業が賠償金を躊躇する理由はなく、抜本的解決は可能である。

ところが、実際には、日本政府は、企業に債務不履行を強いている現状にある。

朝鮮半島に対する日本の植民地支配の歴史に率直に目を向ける姿勢の欠如が、このような日本政府の対応を生んでいるとしか言いようがない。


 

(9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関紙2023年12月号掲載)

政府による歴史の修正・抹殺を許すな! 


1 関東大震災時の朝鮮人、中国人等虐殺の事実

202391日は、関東大震災から数えて100年にあたる日であった。関東大震災は死者・行方不明者105千人にも及ぶ大災害をもたらした史上最大規模の大地震であったが、その直後に「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」などの流言が拡散され、軍隊、警察、自警団などによる朝鮮人、中国人等の虐殺が行われた。また、大杉栄、伊藤野枝などの社会活動家も軍隊により虐殺された。

これらは、虐殺の現場を直接に目撃した人たちの証言録、回想録、日記、写真、絵画等の記録、当時の新聞報道、裁判記録等で史実として明らかとなっている。

また、東京両国の横網町公園には、関東大震災後50年にあたる1973年、災害の時に起きた朝鮮人虐殺の犠牲者を悼む碑が建立されている。その建立にあたっては当時の東京都議会の全会派の幹事長が実行委員会に名を連ねた。50年前、朝鮮人虐殺の史実が都議会構成員の共通の認識となっていたことは明らかである。

2 今日における日本政府及び東京都知事の姿勢

ところが、関東大震災から100年目にあたる今年、日本政府は、軍隊、警察、市民によって 朝鮮半島出身の人たちなどが 虐殺された歴史的事実について、「記録がない」と弁明している。松野博一官房長官は、記者会見で「政府内に(虐殺等の)事実関係を把握することができる記録が見当たらない」と述べた。関東大震災時における朝鮮人や中国人虐殺の事実が、あたかも実際には存在しなかったかのような言い回しをしているのである。また、小池百合子東京都知事は、「何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」などとうそぶいて、歴代の都知事が送ってきた両国の横網町公園の犠牲者を悼む碑の前で毎年91日に開催されている「朝鮮人犠牲者追悼集会」への追悼文送付を、2017年から拒否し続けている。

3 記録は存在する!

松野官房長官と同様の言い回しは、国会における質疑での大臣の答弁にも見られ、岸田内閣は虐殺の事実を調査する必要性もないと言明している。軍隊や警察の関与という国家の責任をなし崩しでうやむやにしようとする歴史修正主義、史実の抹殺そのものというほかない。しかし、政府内にも間違いなく記録は残っており、調査すれば「記録が見当たらない」などと言えるはずがないことは、以下の事実によって明らかである。

⒧ 100年前の帝国議会議事録には、当時の治安行政のトップである内務省警保局長の電文を元に「政府自ら出した流言飛語に責任を感じないか」と質された山本権兵衛首相が「目下取り調べ進行中」と答えた記録が残されている。そして、192393日に発せられた「内務省警保局長の電文」は、現在、防衛省防衛研究所に保管されていることが分かっている。これによれば、内務省警保局長が「朝鮮人ハ各地二放火シ、不法ノ目的ヲ遂行セント」としているとあり、同省が流言を事実とみなして取り締まることを勧めたことは明らかである。

⑵ また、戒厳令により出動した軍の行動による殺害は、関東戒厳司令部が軍の報告に基づき作った調査表にあり、 複数の朝鮮人が警備のため射殺されるなどしたとある。警視庁が192392日「不逞者に対する取締を厳にして警戒せよ」との通達を各警察署に発した報道もある。当時の兵士の日記(久保野茂次日記)も残されている。

⑶ 中国人虐殺については、当時の中国政府からの抗議等を受け、虐殺された中国人の慰謝料として20万円を出すことを日本政府が決定していたことを記した電報(1924527日付)が外務省外交史料館に保管されていることが判明している。

⑷ そして、内閣府中央防災会議の災害教訓に関する専門家会議が20093月に作成した「1923年関東大震災報告書【第2編】」「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」がある。これは、当時からの膨大な資料を基に作成された専門家による報告書であり、特に流言の実態等を19257月に警視庁がまとめた「大正大震火災誌」を参照しつつ取りまとめたものである。

 これによれば、殺傷事件の一覧表も記載されているほか、次のような記述がある。

「関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」「軍隊や警察、新聞も一時は流言の伝達に寄与し、混乱を増幅した。軍、官は事態の把握後に流言取締りに転じた」「背景としては、当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖心を抱いていたことがあり、無理解と民族差別的な意識もあったと考えられる」

 このように政府の中枢である内閣府の下に置かれた中央防災会議の専門家会議の報告書が取りまとめられていて、その中で流言による朝鮮人虐殺等が指摘されているのである。「記録が見当たらない」はずがないのである。

4 歴史の修正、抹殺を許してはならない

1984年から1994年まで西ドイツ及び東西ドイツ統一後の大統領を務めたワイツゼッカーが、第2次世界大戦終了40周年の19855月、「荒野の40年」と題した議会演説で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」と訴え、ナチス・ドイツによる犯罪を「ドイツ人全員が負う責任」だと強調し、歴史を直視するよう国民に促したことは余りにも有名である。

関東大震災時における朝鮮人、中国人の虐殺は、大日本帝国における1890年代からの朝鮮半島や中国大陸への対外侵略、とりわけ、1910年の朝鮮半島の植民地支配とこれに対する朝鮮民衆の抵抗(1919年の31運動等)が大きく影響していることは明らかであり、そのことは、前記の中央防災会議の専門調査会報告書にも記されている。そして、現代の日本における従軍慰安婦の問題や強制連行された徴用工の問題の解決にあたっては、このような日本の侵略の歴史を直視することが必須である。

ところが、日本政府、とりわけ、安倍政権となって以降の日本は、日本の帝国主義支配の歴史を歪曲し、不都合な事実を抹殺して、日本の責任を無きものとするスタンスで貫かれている。首都東京の小池知事の姿勢もそれに連なるものである。

「政府内に(虐殺等の)事実関係を把握することができる記録が見当たらない」という内閣や追悼文拒否を続ける小池都知事を見るにつけ、ワイツゼッカーの議会演説に見られるドイツのスタンスとの違いに愕然とする。

日本は戦後「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」(日本国憲法前文)たはずであるが、このように歴史を直視せず、これをなかったものであるかのように振る舞う日本政府は、「再び戦争の惨禍」を起こすことになるのではないかと、強い危惧を覚えざるを得ない。

以上



(9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関誌2023年9月号)

 

マイナンバー制度の行き着く先は? 

 

 政府は莫大な国費を費やしてマイナポイント付与で誘導し、マイナ保険証への切替えによる恫喝で短期間でのマイナンバーカードの普及を図ってきた。しかし、拙速な導入により、プライバシー侵害等の危険が顕在化して、カード返納をする市民も増大している。以上の状況を踏まえ、202212月号で「マイナ保険証に反対する」を掲載しているが、改めて、マイナンバー制度の行き着く先について、論じたい。

1 マイナンバー(個人番号)制度の経緯

マイナンバーの前身は、1998年住民基本台帳法改正に基づく住基ネットと住基カードの創設である。この制度は、各自治体限りでの住民情報が国家レベルで全国一元化されたものであり、行政内部での利用を想定していた。民間での使用禁止のほか、行政機関同士の情報連携も想定されておらず、マイナンバー制度とは異なる発想に立っていた。

住基ネットについては、反対する幾つかの自治体があり、守口市の市民が住基ネットの違憲性を指摘して裁判で争ったが、2008年最高裁判決は、「住所、氏名、生年月日、性別の4情報に限定されている」、「技術的な漏洩の危険が少ない」、「公務員に対する懲戒や刑罰がある」等を理由に合憲とした。マイナンバー制度は、住基ネットより格段に広範な利用目的を持ち、実際にも様々なトラブルが生じており、上記最高裁判例の理屈がそのまま当てはまるとは思えないが、最高裁は、202339日、マイナンバー制度も合憲とする判断を示している。

マイナンバー制度の創設は、2013年制定の「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」に基づく。この制度は、マイナンバーが民間でも流通することを予定し(源泉徴収票に用いる)、各行政機関での多方面にわたる情報連携を行うことを目的とするものである。

発行されるカードは、顔写真付きのものに限定されている。また、カードは本人申請による任意取得が原則(法171項)であり、裏返せば、いったん取得しても返納する自由がある。今回、様々なトラブルによるカード返納が続き、自治体がこれを拒否できないのは、そのためである。

2 マイナンバー制度の目的と利用方法

 マイナンバーの当初の目的とされたのは、税(公正な税の徴収)、社会保障、災害への利用であった。しかし、初めから、納税者番号として雇用主と従業員間という民と民の関係で用いられ、その情報が税務署等の官に提供される「見える番号」として創設されている。住基ネットと比較すると、利用分野が格段に広くなるよう当初から設計されているのである。現に、紐づけが拡大し以下のように広範囲での利用が肯定されている。

世帯情報、税(公金受取口座)、年金、健康・医療(予防接種、検診、医療保険、学校保健、難病患者支援、保険証の被保険者番号)、子ども・子育て(児童手当、一人親家庭、母子保健、教育・就学支援、障害児支援、小児慢性特定疾病医療)、福祉・介護(障害者福祉、生活保護、中国残留邦人支援等、介護・高齢者福祉)、労働(雇用保険、労災補償)

3 個人番号制度の世界での状況

 世界における個人番号制度の状況を見ると、以下のとおりである。

アメリカでは1936年に社会保障番号を導入しているが、なりすまし被害が年間1270万人(2014)もあると報告されている。カナダにも社会保障番号があるが、政府プログラム以外での使用を防止するプライバシー委員会がある。オランダは政府機関共通仕様の市民サービス番号があるが、カードは発行していない。オーストリアには国民登録番号があるが、漏洩防止のために管理・運用が厳重になっている。シンガポールには2003年より共通個人認証番号がある。韓国は軍政時代の1962年に住民登録番号を導入し、あらゆる個人情報が紐づけられている(日本の個人番号に最も近い)。スウェーデンは、個人番号制が浸透している。エストニアには、ICチップ付き国民IDカードがあり、公共サービスに使える。

共通番号のない国もある。ドイツには納税者番号はあるが共通番号はない。プライバシー侵害の危険性から一元化された個人番号制度は違法とされた。行政分野ごとに複数の番号を管理し、データ保護観察官が番号の取扱いをチェックしている。イギリスでは2006年にIDカード法が成立したが、プライバシー侵害に対する懸念から廃止された。フランスには社会保障番号があるが共通番号はない。イタリアには納税者番号と住民カードがあるが共通番号はない。オーストラリアには税・医療など分野別番号はあるがセキュリティーへの配慮からカード発行はない。

4 マイナンバー制度の危険性

マイナンバー制度はプライバシー侵害が大きい。データ集積によるプロファイリングが可能であり(※プロファイリングとは特定の人物の個人情報や過去の行動を分析し今後の行動などを推測すること)、カード紛失に伴う情報の漏洩がある。カードによる他人のなりすましもあり得る。また、顔認証システムとの連動が可能で容易に人物が特定され得る。既に、日本でも運転免許証の写真は警察が撮影してデータを持っており、警察捜査に基づく被疑者からのデータ収集が始まっている。マイナンバーカードは顔写真付きカードであり、データ読み取り可能な監視カメラとの連動で個人の特定と行動歴の把握ができることになる。中国では、既に顔認証システムによる人物特定と行動把握が行われている。

また、公権力や巨大民間業者が市民の行動を支配する危険がある。既にプロファイリングによる消費行動を把握した「行動ターゲティング広告」が拡大している(※行動ターゲティングとはオンライン上でのユーザーの属性や購買歴等に基づき、広告主が訴求したい属性のユーザーに対し配信する技術である)。行動履歴等に基づく信用スコア(※各種データに基づき人の信用度を点数化すること)の作成も始まっている。そして、信用スコアと連動した国家による人の格付けがなされる危険もある。中国では「判決不履行者リスト」に基づく信用スコアが作成され、差別的取扱いが拡大している。

そして、これは自律した個人による民主的社会の形成を妨げる。昨今、エコーチェンバー現象(似た者同士によるコミュニティ形成)が指摘されている。また、2016年アメリカ大統領選挙における選挙干渉やEUの離脱に関するイギリス国民投票でも、選挙コンサルティング会社による「行動学的マイクロターゲティング戦略」が実施されたと言われる。市民が、行政機関や業者によるデータ集積に基づく利活用の客体となり、市民としての自律的意思決定が妨げられ、市民社会全体が停滞・萎縮する危険がある。

5 どのように対処するべきか?

以上のようなマイナンバー制度の危険に対処するには、①番号の紐づけ、社会的共有の禁止(各分野別の利用に限定する)、②紐づけの際の各個人の同意原則の確立、③個人情報コントロール権の確立、プロファイリングされない権利、削除権(忘れられる権利)、データポータビリティ権等の保障(※データポータビリティとは、個人が政府や企業に提供したデータを自分で管理し自由に「持ち運ぶ」ことができる仕組み)、④個人情報保護機関の独立性の確保と権限強化、⑤顔認証システムの原則利用禁止、⑥EUに倣った一般データ保護原則の策定が必要である。

                                                  以上


9条を守り憲法を生かす宮崎県民の会機関紙2024年3月号

イスラエルによる戦闘の即時中止と占領地支配の終焉を求める!


1 集団虐殺と建造物の大量破壊の極みにあるガザの現状と国際社会の反応

ガザ地区は、種子島よりも小さい土地に230万人のパレスチナ人が生活する人口密集地域である。202425日朝日新聞の天声人語によれば、イスラエル軍の攻撃により「ガザ地区で27,000人の市民が亡くなり、人口の8割を超える190万人が家を追われた。欧米メディアでは集団虐殺(ジェノサイド)と異なるドミサイド(建物の兵器などによる大量破壊)という言葉が使われ、すでに7万戸の住宅が全壊し一部損壊を含むと29万戸以上に及ぶ」。イスラエル軍の攻撃は、民間人と戦闘員との区別もなく死者には多数の子どもが含まれ、国連職員の犠牲をも厭わないものとなっている。国際人道法(武力行使のルールを定めた国際条約の総称)という人類社会が積み上げてきた「超えてはならない一線」に対する無視が続いているのである(中満泉国連事務次長言)。

ところが、アメリカはイスラエルを支持し、国連による即時停戦の決議にも人道的停戦にも反対した。アメリカ追随外交の日本は、ハマスのテロ攻撃は批判するがイスラエルのガザ攻撃には深刻な憂慮を表明するにとどまっている。また、ドイツでもブランデンブルク門がイスラエル国旗色にライトアップされたという(ホロコーストの加害者として罪悪意識の所産と言えようか)。

そして、その後反米組織による中東におけるアメリカ軍施設への攻撃とこれに対するアメリカの報復が行われ、戦闘が拡大している。その上、ロシアのプーチンが核武力使用で威嚇し包括的核実験禁止条約の批准撤回をしたのと軌を一にして、核所有国イスラエルの閣僚による核攻撃発言も飛び出している。核の危機も現実化している。

2 イスラエルによるガザの植民地支配の現状

 今回の戦闘の発端は、ハマスによるイスラエルに対する攻撃にある。しかし、20231024日、国連事務総長グレーテスは「ハマスによる攻撃は理由もなく(真空の中で)起きたわけではないことを認識する必要がある」、「パレスチナの人々は56年間、息苦しい占領下に置かれてきた」と述べた。

グレーテスのいう56年間とは1967年の第3次中東戦争によりパレスチナ全域がイスラエルの占領下に置かれたことを指している。1993年のオスロ合意によりパレスチナの自治拡大が目指されたが実現せず、パレスチナ自治区の選挙で正当な支配権を握ったハマスが2007年にガザを実効支配して以降は、ヨルダン川西岸地域を含めてイスラエルによる植民地支配が強化された。イスラエルによってガザが封鎖され住民の水や食料が配給される状況が常態化し「天井のない監獄」と呼ばれるようになったのである。イスラエル軍に石を投げた子供が射殺されたり監獄に入れられたりする。数発のロケット弾が撃ち込まれたら何倍ものミサイルが打ち返される非対称の暴力も行われ、2008年以来、イスラエル軍と入植者たちは、ヨルダン川西岸とガザで3800人近いパレスチナ市民を殺害してきたと言われる。

「組織化された土地の収奪、日常的な空爆、軍事検問所での恣意的な拘束、標的を絞った殺害による強制的な家族の分離」などパレスチナ人がじわじわと時間をかけた突然死のふりかかる状態での生存を余儀なくされている占領下の現状がある(学生団体「ハーバード・パレスチナ連帯委員会」)。

3 ハマスの攻撃は苛酷な植民地支配に対する反撃との認識が必要ではないか

占領下のパレスチナや強制的に離散させられたパレスチナ人が耐えてきた根本的な不正義が今回のハマスの攻撃の背景にある。パレスチナでは、国際社会に見捨てられ苦しみや絶望感が広がっていたと見るべきである。

 日本は日清戦争後の1895年に台湾を武力で併合し、日露戦争後の2005年に朝鮮半島を実効支配して1910年に併合した。その日本帝国主義による植民地支配の中で、朝鮮半島では1919年に3.1独立運動が起こり、数千人の朝鮮独立運動に関わった人々が殺害された。また、193010月に台湾では、台湾先住少数民族が日本人134名を殺害する「台湾霧社蜂起事件」と呼ばれる事件が発生している。日本人が先住民を人間とみなさず、「凶蕃」として差別して労役に酷使して、彼らが心の奥深くに「恨み」を蔵してきたことが原因であると指摘されている。そして、日本による報復として当時の住民の8割に近い1000人が殺されるか自死に追い込まれたというのである(駒込武「世界20241月号」)。

 イスラエル国防相はガザ攻撃にあたり「われわれは人間の動物(human animarls)と戦っており、それに従って行動している」と言明したというが、日本の植民者が台湾先住民族を凶暴な「蕃人」として殺戮を当然視したのと重なり合う。

4 即時停戦と占領地支配の根絶が必要である。

軍事力による占領を前提とし長期にわたる緩慢な大規模暴力を行使して占領者優位の体制を固定化することを植民地主義という。そして、このシステムに不可欠の要素として人種主義(レイシズム)がある。被占領者のいかなる反撃をもテロリスト、野蛮人とレッテル化して、差別及び殺戮を正当化するのである。イスラエルによるパレスチナの支配が「アパルトヘイト」と呼ばれる所以である。

前記ハーバード・パレスチナ連帯委員会は「イスラエルによるアパルトヘイト政権こそが責められるべきである」としているのは、そのためであり、南アフリカが202312月国際刑事司法裁判所にガザ攻撃は集団虐殺にあたるとして提訴したのも、かつての南アフリカにおけるアパルトヘイト政策を強力に支えた一国にイスラエルがあったことにあると指摘されている。

そこで、ガザでの悲惨な現状を止めるには、何よりも国際人道法違反を繰り返すイスラエルに即時の戦闘中止を求める以外にはない。そして、国連で国際法違反とされている1967年以降のパレスチナ占領から継続する領土支配、オスロ合意後のパレスチナ自治区への入植といった植民支配を終焉させる以外にはない。

1948年パレスチナの地に武力でユダヤ国家が建設されパレスチナ難民が生じて今日の悲惨な現状を生んだ責任が英国等の帝国主義国にあることはいうまでもない。しかし、歴史を75年前のイスラエル建国以前に引き戻すことは、もはや現実的ではない。

ただ、イスラエルが奇襲によって奪った1967年以前の国境線に基づいて二国家共存の解決(植民支配とアパルトヘイトの終焉が必須)を図ることは、国連の基本方針でもあり、実際にはこれによる解決しかないように思われる。歴史認識を共有しつつ憎悪と復讐の連鎖を絶って真の意味での人間の共存が実現できるか?ホロコーストを生き延びたシオニスト(ユダヤ人国家をパレスチナの地に再建する運動を担う人たち)が自己防衛を理由にパレスチナ人の加害者となった経緯を見ると絶望的な思いもよぎる。

気の遠くなるような途方もない年月がかかりそうではある。しかし、希望を失うことなく国連と国際社会が和平と共存を働きかけていかないかぎり、21世紀はおろか22世紀も同じ状況が繰り返されることは間違いないだろう。

以 上




 

2023年韓国調査雑感

前 田 裕 司

 

1 はじめに

⑴ 2019年の日弁連人権大会(徳島大会)での調査以来、韓国ソウルへは4年ぶりの訪問となった。2019年の調査の際には5年ぶりの訪問で、その5年の間の韓国における刑事手続の変化に驚いたが、さらにその4年後の今回も、新たな制度改革を目の当たりにすることになった。

⑵ 私は、長い間、日弁連刑事弁護センター委員を務め、日本における当番弁護士の実践を通じた被疑者国選制度の実現、密室での不適切な取調べを根絶するための「取調べの可視化」、市民感覚を刑事裁判に反映させる裁判員裁判の制度の在り方など、幾つかの刑事司法制度改革に取り組んできた。

その過程で、諸外国の刑事司法制度の実情に触れる機会があったが、中でも、日本とほぼ同じ刑事訴訟法を持つ韓国において、近年、日本に先行して、重要な刑事司法改革が急ピッチで行われていることに強い関心を抱いた。そこで、私は、韓国の2007年の刑訴法大改革が実施された直後の20081月を初回として、2009年、2010年、2012年、2014年、2019年と日弁連の韓国調査団に加わり、そして202311月、今回で7回目の韓国調査に参加することとなった。

⑶ 今回の調査の主眼は、①捜査機関による被疑者の取調べに弁護人が立ち会う制度の実情であったが、これまでの調査の対象は、②勾留質問(拘束前被疑者審査)における弁護人の立会い、③実質的な起訴前保釈として機能している拘束適否審査(被疑者の勾留再審査であり保証金による釈放が認められる)、④保釈保証保険(保証金を保険会社の保証保険でカバーする制度であり、これに倣い、2013年全国弁護士協同組合連合会による保釈保証書事業が発足した)⑤警察や検察での被疑者取調べにおける録画・録音、⑥国選専担弁護士(裁判所が直接に契約する形態の弁護士でかつては勾留質問における弁護人立会を一手に引き受けていた)を含む国選弁護人制度、⑦刑訴法で「身体不拘束の原則」が明記されたことによる刑事手続での身体拘束の実情等であった。

いずれにしても、日本において、刑事弁護人が制度改革の必要性を強く意識している領域で、韓国は日本に先行して改革を成し遂げており、さらに、その内容を充実させようとしている。その改革への熱意と速度は、驚異的ともいえる。そして、その改革を貫いているのは、国際人権自由権規約によって保障されている国際人権水準を達成し確保しようという強い意識である。

⑷ 2019年の調査のあと、韓国では2020年に、映像録画によって調書の真正が立証されれば検察官調書が実質証拠となる刑訴法の規定が改正されて検察官調書も被疑者の同意がないかぎり実質証拠として使えなくなっている。また、検察庁の権限を分散させる方向での制度改革も行われた。これらを含め、思いつくままに四つの事項につき、雑感を記すことにする。

 

2 捜査実務にすっかり定着した弁護人の取調べへの立会い

 ⑴ 最後に訪問した江西警察署の捜査担当警察官が手を挙げて「日本では取調べへの立会いをせずに、どうやって被疑者に対する弁護人援助権を保障しているのか」と調査団への質問がなされたとき、私は一瞬、答に窮した。同じようなことは、前日、大韓弁護士協会の弁護人助力権侵害申告センターの弁護士委員から指摘されていた。高位公職者犯罪捜査処の検事(元検察庁検事)も、日本で取調べへの弁護人立会いが認められていないこと自体に驚きを示していた。韓国では今や、弁護人の立会いなくしては、被疑者・被告人に対する弁護人の援助権は全うできるはずがないとの認識が、弁護士だけではなく捜査機関での共通した認識になっていることを実感した。

 ⑵ 今回の調査の目的の一つは、日本の警察や検察など捜査機関が、取調べへの弁護人の立会いに強く反対する「取調べに弁護人が立会うと、被疑者との信頼関係が築けなくなり、取調べが十分に機能しなくなる」という理由について、韓国において捜査に従事する捜査員がどのように評価するかということであった。

韓国では、2003年の大法院判決と2004年の憲法裁判所の判決によって、身体拘束の有無にかかわらず取調べの際に弁護人が立ち会うことが実現し、2007年の刑訴法改正により法制化されている。その韓国の警察や検察等の犯罪の捜査に関わって取調べを行う現場の捜査員が取調べへの弁護人立会いについてどのように受け止めているのか、その回答が、警察官による先述の私たちへの質問に端的に示されている。確かに、韓国においても、当初は反対があったようだが、現在においては、弁護人の立会いを受ける権利を拒否して取調べを行うことは、それ自体が許されないことであり、捜査機関としては、その前提で取調べを実施するべきとの認識が共有されているように思えた。

 ソウル中央地方検察庁の2人の検察官、高位公職者犯罪捜査処の検事、江西警察署の捜査員、いずれも、弁護人の取調べへの立会いを当然のこととして受け入れ、被疑者の権利の重要な権利であると認識していた。

 弁護人との日程調整に時間を要して取調べ時間確保が困難になることや一定の証拠を開示するのと同様の結果となることによる捜査側の不利益もあり得るが、一方で供述する事案にあっては争点の整理等が早くなり取調べがむしろスムーズに進行するなど事案の解明に役立つこともあって、捜査側にも有益となる面があり、弁護人の取調べの立会いを巡っての捜査官と弁護人との争いもなくなってきたとのことであった。

 

3 今後の課題としての在宅被疑者と逮捕段階の被疑者に対する弁護人の援助

⑴ 在宅被疑者と拘束後の被疑者の弁護人立会いの実情

韓国では、2007年の刑訴法改正により身体不拘束の原則が刑訴法に明記され、身体拘束をされたままで起訴される被疑者の数が激減し、その分、在宅での被疑者に対する取調べが相当多くなっている。

しかし、在宅被疑者に対する国選弁護人制度は文大統領の時代に政府内で議論されたものの、まだ確立していない。在宅被疑者の弁護人は全て私選弁護人であり、私選弁護人が取調べにおける弁護人立会を担っている。江西警察署での話によれば、弁護人立会いのある事件は、10件のうちの12件というのであり、資力のある経済犯などに私選弁護人が就く確率が高いようであった。

また、在宅被疑者が拘束された場合に弁護人が就いていれば、拘束中の取調べにも在宅段階からの弁護人が取調べに立会う。弁護人が就いていないまま拘束前被疑者審問を迎える被疑者の場合、制度上、その審問で弁護人が就くことになっている。そこに立ち会う国選弁護人はノンストップ弁護人と呼ばれ、拘束されればその後も一審判決まで弁護人となるから、拘束中の被疑者取調べに立ち会うことはできる。ただ、取調べへの立会いがノンストップ弁護人の義務とはされていないようで、ノンストップ弁護人による拘束中の取調べへの立会いは余りなされいないと聞いた(費用との関係もあるように思われるが詳しい事情までは尋ねていない)。

 ソウル中央地方法院の裁判官が指摘するように、被害者には捜査段階から国選での援助が受けられるのと対比で、在宅で捜査機関による取調べを受ける被疑者に、公的な制度として弁護人を付けること、国選弁護人の下での弁護人立会いが今後の大きな課題であるように思われた。

⑵ 逮捕直後の弁護態勢

また、韓国では逮捕から拘束前被疑者審問までの48時間における公的弁護制度は(韓国の場合には、逮捕前置主義ではないが)、法制化されていない。日本と同様である。この点も在宅被疑者に国費で弁護人を付するか否かと同様に、政府において議論はされたが、まだ確立していないようである。

ただ、今回の調査で、韓国にも当番弁護士制度があることを知った。それまでの訪問の際には認識していなかったが、日本と同様に、韓国おいても逮捕から勾留までの48時間の間隙を埋めるために、弁護士会の自主的な取り組みとして当番弁護士制度が発足していたのである。日本における弁護士会の取組みが参考になったのではないかと勝手に推測したが、各単位会で運営されており、留置施設のある警察署に、当日の当番弁護士が張り付く形で、逮捕された被疑者から要請があれば出動する制度のようである。

当番弁護士は基本的には相談・助言のみを行うボランティアの制度であり、そのまま私選弁護人として選任されるケースが多いという。私選弁護人となれば逮捕段階における警察の取調べに立ち会うことができるが、そうでない限りは、相談・助言に留まるところに当番弁護士の限界があるように思われた。

日本と同様に、この制度が公的弁護に繋がり、逮捕直後の取調べに対応できるようになることを期待したいものである。

 

4 検察改革の内容

 2020年の刑訴法改正で、検察官に関する権限を縮小、分散する形での検察制度の改革が行われた。

 一つは、前記のとおり、被疑者・被告人の検察官調書が被告人の同意のない限りは実質証拠として利用できなくなったことである。この点に関しては、後述するソウル中央地方法院やソウル中央地方検察庁でのやりとりを参照していただきたい。

 二つ目は、送致前の検察官の警察に対する捜査指揮権が廃止され、かつては、検察が第一次捜査機関で警察はその補助機関との位置づけであったものが、完全に相互協力関係になり、警察が第一次捜査権、捜査終結権を持つことになったことである。

 三つ目は、高位公職者犯罪等に関する捜査権限が、高位公職者犯罪捜査処に与えられ、高位公職者犯罪等に関する捜査権やその一部に関する起訴権と公訴維持権が付与されたことである。

 いずれにせよ、検察改革は政治的な意味合いが強いとされていて、立場により賛否が分かれているようである。しかし、その背景には、権限を一か所に集中させることなく分散させて、それぞれの権力行使を抑制しようとする考えがある。民主主義の徹底を図ろうとする韓国国民の意思が垣間見える改革であるように見受けられた。

 

5 まとめ

 2023年韓国調査は3日間の短い期間ではあったが、①弁護人立会を当たり前のように行っている最先端の刑事弁護活動を担う法律事務所、②弁護士会の弁護人援助権侵害に対応する委員会メンバー、③現役の裁判官、④第一線の検察官、⑤大規模警察署の多数の警察官、⑥新設された高位公職者犯罪捜査処の検事、⑦刑事法学者と直接に面談した上で、弁護人立会いに関する実情や意見を聞くことができ、大変充実した調査となった。

今回の調査を今後の日本の刑事司法改革に役立てたいとの思いを一層募らせる機会となった。こうして、雑感を書くのもそのためである。

 それにしても、韓国の刑事司法制度改革への意欲とそのすみやかな制度化には、いつものことながら驚嘆するばかりである。

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2024年イギリス調査雑感

1 はじめに

 私は2011年に日弁連刑事弁護センター委員長を退任したあと2016年までの5年間、国選弁護本部本部長代行を務めていたこともあって、日弁連主催の国選弁護シンポジウムが開催される年には日弁連の調査団に加わり、イギリス(正確には連合王国のうちの「イングランド・ウエールズ」だが、ここではイギリスと記す)における「弁護人の援助を受ける権利」の実情を知るため、2012年、2014年、2017年と3回、イギリスを訪問した。

2024年の日弁連弁護人立会実現委員会の「取調べにおける弁護人立会」を中軸としたイギリス調査は、私にとっては7年ぶり4回目のイギリス訪問であった。

 これまでの「弁護人の援助を受ける権利」に関するイギリス調査により、被疑者が逮捕された直後からの警察取調べの状況やその際の弁護人の活動については、ある程度のことは分かっていたつもりであったが、今回、調査に行ってみると、これまで認識していなかった幾つかの制度や実情を聞かされることになり、現地に出かけて調べることの意義を再確認することとなった。海外での調査には何度行っても新しい発見がある。

 以下は、今回の調査での私の個人的な雑感である。

2 物価が高くて驚いたこと

 これまでの訪問の際にも、ロンドンの物価は結構高く、東京よりやや高いなという感覚はあったが、今回は、事前に予約した航空券代やホテル代もこれまでよりは相当に割高であり、最近の円安傾向もあって、その分現地の物価も高いだろうなとは予測していた。ただ、実際に行ってみると、想定した以上の高い物価であるのには驚きを禁じ得なかった。

 例えば、到着した日の夕方にホテル近くのタイレストランで飲んだ330ミリリットルのビールが6ポンド(1ポンド190円とすると1140円くらいになる)、日本の2倍くらいの金額であった。また、日本の丸亀製麺がロンドンに10店舗も進出しているとのことであり、宿泊先ホテルの最寄り駅の構内にも店舗があったので、試しに食べてみたが、日本で300円程度のかけうどんの小が約5ポンド(約950円)もした。また、日曜日にテムズ川河畔のレストランでお昼に食べたハンバーガーは16ポンド(約3000円)であった。

 このように日本との比較で物価が高いことに、何よりも驚いた今回のロンドンであった。

3 事前の情報開示が従前と異ならないとの意見に接したこと

 イギリスの場合、1984年制定の警察刑事証拠法(PACE)に基づき、被疑者が弁護人を要請すると公費(法律扶助)で弁護人が派遣される制度が実施されている(在宅被疑者にもその権利があることがイギリスの特徴である)。被疑者は特定の弁護士事務所を指定することも可能で、そうでない場合には名簿に登録された当番弁護士が出動する仕組みとなっている。そして、要請を受けた弁護士は通知後45分以内には当該警察署に出向くこととなっており(実務規範にある)、その弁護士は、まず、取調べ担当者から被疑事実の概要とその被疑事実を裏付ける一定の情報(証拠)の開示を受けることとなっている(かつては規定がなかったが現在はPACEの実務規範にその旨規定されている)。

この情報開示の実情について、2012年及び2014年のイギリス調査の際に会ったアンソニー・エドワーズ弁護士(経験豊富なソリシタ―)は、担当警察官に対して、適切な情報開示がなされないと被疑者に黙秘を助言せざると得ないなどと交渉して、それなりの情報開示を受けることはできるし、それが弁護士の力量であると説明していた。また、その後、実務規範に一定の情報開示義務が規定されたことを契機にして、警察署に出向いた弁護士が被疑者と接見する前の情報開示は、従前より一層進んでいる旨を日本の研究者から聞いていた。そこで、私は、被疑者との接見前の事前の情報開示はある程度進んでいるだろうと認識して、今回の調査においても、弁護士に情報開示の実情を聞いてみた。ところが、調査先の弁護士ら(約400人の弁護士を要するソリシターの大法律事務所)の話によると、警察官による事前の情報開示は未だ極めて不十分であり、従前と少しも変わっていないとのことであった。

 この点が、これまでの調査やその後得ていた情報とは全く異なるもので、意外であった。さらに、調査を尽くす必要があるように思われた。

4 黙秘することによる不利益推認に関する意見交換で分かったこと

 イギリスは被疑者・被告人の黙秘を不利益に推認する刑事手続があることで知られる。

ある間接事実があり(例えば、近くで窃盗があり、その盗品を被疑者が所持していたとか、近くで殺人事件があり、被疑者が血の付いたシャツを着て路上に立っていた等)、それが、経験則上、主要事実(犯罪)を推認するに十分な事実である場合、その間接事実がなぜ生じているのか、捜査する官が、その理由を被疑者に問うているのに、被疑者が黙秘して何も弁明しないとすれば、その弁明せずに黙秘している事実を不利益な方向で推認しても良いというルールである。黙秘による不利益推認は、取調べの場合だけに限らす、公判廷の場合にもいずれの場合にもある。

しかし、取調べの際に黙秘しても公判では供述して弁明し、その弁明が合理的でかつ一定の裏付けがあれば、取調べの際に黙秘したことが不利益になることはないという。

すなわち、イギリスにおいては黙秘による不利益推認のルールはあるが、取調べの際の黙秘が事実認定上不利益に働くのは(言葉を換えると、公判における被告人供述の信用性が担保できないのは)、なぜ、取調べの際に弁明しなかったのか、その合理的な説明が公判供述でもできない場合である。そうではなく、取調べの際には弁明することができなかったことについての合理的な説明が可能であり、かつ、公判での弁明内容に合理性があれば、事実認定に不利益に働くことはないという。これは、日本の場合にも、おそらく、どこの国においても、全く同様だと思われる。

イギリスにおける黙秘についての不利益推認は、被疑者が取調べの際に黙秘権を行使しても、取調官が質問を続行できる手続上の根拠となっていることは間違いなく、黙秘は取調べ遮断効として機能しない。その分、黙秘権を行使すれば取調べが続行できなくなるアメリカとの違いは明確で、黙秘権行使の効力がアメリカよりは弱いともいえる。しかし、日本と比較すると、何時間も何日も黙秘解除を説得するような取調べは行われていない。イギリスでは、不利益推認は、被疑者が黙秘権を行使しても、取調官が質問を続行できるという手続上の根拠となってはいるが、公判における事実認定の場面に与える影響は、経験則を超えて独自に存在するものではなさそうである。事実認定の場面では、通常の経験則の範囲に収まるものと、私は理解した。

5 AAとICV

4度目の訪問で新たに知ったこともあった。一つは、被疑者に対する適切な大人(Appropriate Adult)の制度であり、もう一つは、警察の留置施設における独立拘禁訪問者(independent custody visitor)の制度である。

前者は障害者等の脆弱な被疑者に対して、その権利や福祉を保護するために、弁護人の援助とは別に、弁護人以外の者による支援、助言、手伝いを付す制度である。1984年に制定された警察刑事証拠法(PACE)の実務規範に根拠を置いている。ハマースミス警察署の留置管理官に尋ねたところ、約17%の被疑者にAAが付いているとのことであった。実際のAAの業務は、被拘束者への権利告知への立会、警告(黙秘権告知後の取調べにおいて黙秘をする場合に不利益推認の規定があること)の際の立会、取調べや供述調書への署名における立会、継続的な警察での身体拘束についての警察官への意見陳述、警察官の訴追における立会である。

後者は、わが国における留置施設視察委員会と同様の存在であり、留置施設における処遇について、市民の中から選定された人が視察して意見を述べる役割をになう活動である。警察の留置施設に対する訪問は全部抜き打ちであり、最低でも1週間に1回は行われるという。

いずれの制度も、被疑者が拘禁された場合の適切な援助や処遇環境の改善に資するものであり、日本においても参考にされるべき制度であると思われた。

6 終わりに

 1984年制定のPACEによって始まった「取調べにおける弁護人立会(被疑者との接見前の警察官による弁護人への情報開示、取調べに先立っての弁護人に接見による助言とセットになったもの)」は、この40年、イギリスではすっかり定着しているように思える。

最後の訪問先ハマースミス警察署の留置管理官に、取調べにおける弁護人立会制度についての感想を求めたところ、彼は、「素晴らしい制度である。逮捕された者は精神的に多かれ少なかれ不安を抱え、また、法律の知識があるわけではない。そのような人への弁護人の援助は人権の観点から必要である。また、拘束された人の中には一定数、無実の人がいることも確かである。そのような人に対する冤罪を生まないためにも弁護人の立会、援助は必要であろう」と答えた。外交辞令とはとうてい思えず、イギリスの刑事司法に携わる人の人権感覚がそう言わしめたのだと思うに十分なものであった。その完璧ともいえる回答に、私は感激し思わず拍手を送った。

また、彼の同僚の留置管理官に、日本で生まれ育ち日本の大学を卒業後イギリスにわたって警察官となったニシタニシンヤさんという日本国籍の方がいた。ニシタニさんは一緒に私たちの署内への案内と手続の概要を説明してくれた。

このお二人に象徴されるように、今回もまた、イギリスでの貴重な人との出会いがあった。

以 上


202453日憲法記念日講演

 

日本国憲法と歴史認識

 

第1 なぜ、憲法と歴史認識を取り上げるか?

  

第2 朝鮮人追悼碑撤去の経過

 群馬県高崎市にある「群馬の森」は、大日本帝国時代には陸軍の火薬製造所として使われた土地を1960年代末から都市公園として再整備した県立公園である。県立近代美術館や歴史博物館等の文化施設と自然が同居する広大な土地で、市民の憩いの場となっている。

 その一角に「記憶、反省、そして友好」と刻まれた『朝鮮人追悼碑』があった。群馬県内では鉱山労働や中島飛行機太田工場などの軍需工場、中島飛行機の地下工場建設、吾妻線や導水路の工事などに、徴用や動員で朝鮮から連れてこられた多くの労働者が酷使され、犠牲となっていた。それらの犠牲者を追悼するため、市民有志が1998年に「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」を結成し、旧日本陸軍岩鼻火薬廠の跡地にある「群馬の森」公園を用地として提供してくれるように2001年県議会に請願、全会一致で趣旨採択され、2004年に群馬県議会の承認の下、建立された。その後同地を訪れるたくさんの市民に過去の歴史を振り返る機会を提供してきた。

碑文案の中にあった「強制連行」という文言について、群馬県は「外務省にも相談したが、募集、官斡旋、徴用のどこからどこまでを強制連行というのか、線引きが困難だ」として使用を拒否したため、市民団体と県は協議を重ね、「強制連行」を「労務動員」という言葉に置き換えて、建立された経緯があり、以下のような碑文となった。

「記憶 反省 そして友好 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のなか、政府の労務動員政策により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊いいのちを失った人も少なくなかった。21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」

 ところが、2014年、設置した市民団体が10年ごとの許可更新を求めたところ、県は「設置条件に反する」と不許可とした。理由は、過去に追悼碑の前で行われた追悼式で、参加者が発言した「強制連行」という発言が「政治的発言」にあたるということだった。背景には右派の執拗な抗議があり、加害の歴史を否定する団体「そよ風」が県議会に追悼碑設置許可取り消しを求める請願を提出し、賛成多数で採択されたことが背景にある。

同様の事態は、東京両国の横網町公園の関東大震災における朝鮮人虐殺の犠牲者を悼む碑の問題でも生じている。震災後50年にあたる1973年、災害の時に起きた犠牲者を悼む碑が建立された。その建立にあたっては当時の東京都議会の全会派の幹事長が実行委員会に名を連ねた。50年前、朝鮮人虐殺の史実が都議会構成員の共通の認識となっていたのに、小池百合子東京都知事は、「何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」などとうそぶいて、歴代の都知事が送ってきた両国の横網町公園の犠牲者を悼む碑の前で毎年91日に開催されている「朝鮮人犠牲者追悼集会」への追悼文送付を、2017年から拒否し続けている。右翼団体の動きに呼応する群馬県の追悼碑撤去も同様の構造である。

 市民団体「記憶反省そして友好の追悼碑を守る会は、同年、県の決定が違法であるとして提訴し、一審の前橋地裁は市民団体の勝訴としたものの、東京高裁は県の決定を適法とする判決を下し、2022年に最高裁で確定した。

それから1年半、市民団体やアーティストなどの抗議を押し切る形で、群馬県は行政代執行法に基づき、碑の撤去を強行した。

 群馬県知事山本一太は、もと自民党所属の国会議員であり安倍晋三に近い立場にあった者で、後述する安倍政権以降の政権の歴史認識を踏襲していると思われる。

 

第3 自衛隊の最近の動き

 1 自衛隊幹部自衛官(陸上、海上)らによる靖国神社への集団参拝

2024年1月、陸上自衛隊の陸上幕僚副長がトップを務める航空事故調査委員会のメンバー22人による靖国神社への集団参拝(公用車も使用)が明らかになった。

 また、海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生が20235月、長期にわたる遠洋練習航海に先立ち、練習艦隊の司令官らとともに靖国神社に参拝したことも明らかとなった。靖国神社の社報には、制服姿で本殿に上がって頭を下げる様子が写真つきで紹介され、練習航海前の参拝は毎年の恒例行事と受け取れる記述もあった。卒業生165人の多くが参加した。玉串料も自由意思で集め、まとめて納めたという。

 靖国神社は戦前、旧陸海軍が共同で管理し、国家主義軍国主義の精神的支柱となり、戦死者を顕彰して、新たな天皇の兵士を生み出す装置として機能した。明治政府以降の日清、日露を含む日本のすべての戦争を、「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかった」と肯定し、「大東亜戦争」は侵略戦争ではなく、植民地解放のための戦い、聖戦だったとの認識を示す神社である。東京裁判戦争責任を問われたA級戦犯14人も合祀されているのは、そのためである。

2 元海将の靖国神社の宮司就任

202441日、その靖国神社の14代目の宮司に防衛省の情報本部長などを歴任した海上自衛隊の元海将(63歳)が就任した。靖国神社の宮司に元自衛官が就任するのは2人目のようであるが、海将クラスは初めてだという。元海将は海上自衛隊の幹部学校長や防衛省の情報本部長などを経て退官したあと、202311月まで3年余りにわたって自衛隊の活動拠点があるアフリカ東部のジブチの大使を務めていた。自衛隊と靖国神社との繋がりが私たちの認識している以上に深いものであることを示す事実と言える。
 3 自衛隊連隊の「大東亜戦争」と呼称による投稿

 陸上自衛隊大宮駐屯地(埼玉県)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の公式アカウントで202445日、硫黄島(東京都)であった日米合同の戦没者追悼式を伝える投稿で「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と記述した。ネットなどで「侵略戦争を正当化する用語だ」などと議論を呼び、同隊は8日に投稿を削除し、「大東亜戦争」の用語を使わずに再投稿した。木原稔防衛相は「(大東亜戦争は)一般に政府として公文書に使用していないことを踏まえた」「硫黄島が激戦の地であった状況を表現するため、当時の呼称を用い、その他の意図は何らなかった」と説明。林芳正官房長官は「いかなる用語を使用するかは文脈にもより、一概に答えられない」と述べたという。

「大東亜戦争」という用語は、1941年の東条内閣による真珠湾攻撃後、大東亜新秩序建設を目的とする戦争として使用されていたものであり、戦後、GHQは、この用語を使用することを禁じていた。現在もこの言葉を使うのは、戦争の反省の上に成り立つ戦後社会を認めたくないという歴史認識の表明、イデオロギーであると思われる。

 

第4 日本政府の歴史認識の推移

 1 大日本帝国の侵略の歴史

 大日本帝国の時代、19458月に終戦を迎えるアジア太平洋地域での戦争は、アジアで2000万人、日本国内で310万人の死者をもたらした。台湾と朝鮮半島を植民地とし、中国東北部(満州)に傀儡国家を建設し、中国全土とアジア地域のほとんどに武力で侵攻した。ミャンマー、フィリピン、インドネシア、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、マレーシア、シンガポール、ミクロネシア、モンゴル等である。

 2 敗戦と日本国憲法の公布

 憲法前文「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 戦後の再出発の原点としての平和主義、非軍事路線、国際協調主義がある。

 3 戦後の諸国との講和及び条約締結等における言明

 ⑴ 1951年サンフランシスコ講和条約と日米安保条約

  極東軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾

 ⑵ 1965年日韓条約(椎名悦三郎外務大臣の外交演説)

過去の日韓関係には遺憾ながら不幸な時代があり、この時代について韓国民が心に深い傷痕を持っていますことは、・・我々が銘記しておかなければならないことであります。

 ⑶ 1972年日中共同声明(田中角栄首相、大平正芳外相)

 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについて責任を痛感し、深く反省する。

 ⑷ 1980年代の首相の談話と演説

 ア 1982年宮沢喜一官房長官談話(歴史教科書問題、文部省が高校社会科の教科書検定で中国大陸への「侵略」を「進出」へ統一するよう「改善意見」を付した)

 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを2度と繰り返してはならないとの反省の上に立って平和国家としての道を歩んできた。

 イ 1985年国連40周年記念会期における中曽根康弘首相演説

 戦争終結後、我々日本は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民もまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。・・我が国は、平和国家を目指して専守防衛に徹し、2度と再び軍事大国にはならないことを内外に宣明したのであります。戦争と原爆の悲惨さを身をもって体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にあり得ないことであります。

 ⑷ 冷戦終結と村山首相談話

 ア 1993年「慰安婦」関係調査結果発表の際の河野洋平官房長官談話(宮沢内閣)

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 イ 1993年細川護熙首相所信表明

 過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に堪えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる

 ウ 1995年戦後50年村山富市首相談話

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 ⑸ 村山談話後の継承

 ア 1997年橋本龍太郎談話

 イ 1998年日韓共同宣言(小渕恵三首相、金大中大統領)

 ウ 1998年平和と発展のための日中共同宣言(小渕首相、江沢民主席)

 エ 2002年日朝平壌共同宣言(小泉純一郎首相、金正日)

 オ 2005年小泉首相談話

 カ 2010年日韓併合100年の際の菅直人首相談話

 ⑹ 村山談話の継承を拒否する安倍政権の歴史認識

ア 安倍晋三は1990年代後半からの日本の歴史修正主義運動を牽引した。1995年に自民党右派の結成した「歴史・検討委員会」、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(教科書議連)に所属して事務局長を担い、「新しい歴史教科書を作る会」(1977年発足)の新しい歴史教科書を採択させる運動の政治サイドからのバックアップを行った。

歴史修正主義とは、史料から過去を明らかにするという科学としての歴史記述を完全に放棄することなく(実証を放棄すれば単なる陰謀論になる)、特定の史実を選んで線で結び、任意に解釈することで、国家や国民に利益をもたらす過去を手に入れる手段(武井彩佳:世界20229月号)で、過去を書き替えることによって現在の評価を変え、それによって未来をも変えるという実利的かつ未来志向的な思想として登場する。

具体的には、大日本帝国による侵略戦争をアジアの解放戦争であったとし、慰安婦問題や強制連行事件の否定するものである

イ 靖国神社の歴史感と共通する安倍の認識

 安倍は、20131226日に靖国神社に参拝し、その際、「今の日本の平和と繁栄は戦場に倒れたたくさんの方々の犠牲の上にある」と談話を発表した。また、首相となって815日の政府主催の戦没者追悼式における式辞において、細川内閣から踏襲されていたアジアの加害責任への言及を避け、不戦の誓いを盛り込まなかった。20145月シンガポールで開催されたアジア安全保障会議で「戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する1本の道を日本は1度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました」と述べている。

 ウ 戦後70年談話

 日本自身の加害者としての戦争責任、植民地支配に対する謝罪の姿勢はない。

侵略戦争や植民地支配への反省に立つ歴史観を自虐史観として批判してきた安倍は、村山談話の「植民地支配と侵略」、「疑うべくもないその歴史の事実」、「痛切な反省の意」、「心からのお詫びの気持ち」を継承せずに、否定しようとした。

 また、植民地支配に対する謝罪は、どこもしていないのではないかとの認識も垣間見える。

そして、群馬県の追悼碑撤去や自衛隊の動きは、安倍政権以降の政府の歴史認識と通底するものがある。

⑺ 植民地支配に対する世界の動向

確かに、西欧列強による帝国主義的侵略による植民地支配に対する旧宗主国の動きはドイツによるホロコーストや戦争責任に対する謝罪等の動きと比較すると鈍いものではある。

しかし、2001年南アフリカのダーバンで開かれた「人種主義・人種差別・外国人排斥及び関連する不寛容に関する世界会議」におけるダーバン宣言 「・・植民地主義は、そこが起きたところではどこであれ、いつであれ、非難され再発は防止されなければならない・・」ただし、植民地支配それ自体が、国際人道法に定める「人道に対する罪」に該当するとはされなかった。フランスのマクロン大統領は2017年に人道に対する罪と認めている。

欧州議会2019326日決議「欧州におけるアフリカ系市民の基本的諸権利」に関する決議 →植民地主義を非難するだけではなく、その不正に対する公式謝罪を含む「有意義で実効的な償い」の措置をとるよう求めている。

 植民地支配に対する世界の動向は、21世紀の今日、確実に変わりつつある。

 

日弁連総会決議発言要旨


 1 私は、日弁連が組織として可視化実現の運動を始めた2003年、可視化ワーキンググループの設置に関わり、その年の秋に松山人権大会での可視化決議の際にも発言するなどして、取調べの可視化実現に取り組んでまいりました。その後20年以上、可視化本部委員として全事件の取調べの可視化を実現したいとの思いで活動している者でございます。

取調べにおける弁護人の立会に関しましては、決議を挙げた2019の徳島人権大会で、シンポジウム実行委員会委員として、ヨーロッパと韓国の海外調査に参加し、当たり前のように弁護人立会が行われている実情を見てきました。現在、弁護人の立会実現委員会の委員として弁護人の立会を目指す活動に取り組んでおります。

 

2 これまで、日弁連では、そのときどきに全事件での可視化を実現しようという決議を挙げ、これが可視化法制の実現に繋がりました。

 ⑴ 2003年 松山人権大会での可視化決議が、2006年の検察での「試行」に繋がりました。

 ⑵ 2007年 東京の定期総会での可視化決議を挙げましたが、翌年2008年には警察での「試行」が始まりました。

 ⑶ 2009年 刑訴法施行60年の年でしたが、和歌山人権大会での可視化宣言を行い、これが2010年の国家公安委員会における取調べの研究会と2011年の法制審議会特別部会に繋がりました。

 ⑷ その法制審議会特別部会が設置(6月)に先立つ1カ月前に東京の定期総会の取調べの可視化等決議(5月)を挙げ、2014年答申案とりまとめに至るまでの、私たちの基本的なスタンスとなりました。

 ⑹ そして、2016年 刑訴法改正による法制化と2019年施行となりました。

⑺ 20072月志布志事件、200710月氷見再審事件、20109月村木事件の影響があったことは言うまでもなく、これらの冤罪事件を可視化に繋げたのは、日弁連の時宜を得た決議とこれを踏まえての運動であったということができます。

3 今回は、2019年法施行後初めての可視化に関する決議であり、2019年人権大会以来の弁護人の立会に関する決議です。そして、取調べ可視化の3年後見直し(弁護人立会も含む)が法務省の在り方会議で検討中という制度実現のための最も重要な局面にあります。今回の決議は全事件可視化と弁護人立会の運動展開にとって正念場といえると思います。おりしも、大阪で村木事件の再来ともいうべきプレサンス事件がおき、また、東京で警視庁公安部による大川原化工機事件という冤罪事件が世間の注目を集め、刑事司法に対する厳しい目が注がれている時期でもあります。

 全会一致でこの決議を挙げて、私たちの運動の弾みとすることが必要だと思います。

以 上

2024530日九州ブロックスタッフ弁護士研修

 

刑事弁護の現在と今後

 

1 はじめに

19491月に施行された現行刑事訴訟法は、2024年で75年を迎えた。制定から50年以上にわたりほとんど手を加えられることのなかった刑事訴訟手続は、21世紀に至り2004年及び2016年の改正を経て、この20年の間に大きく変貌を遂げた。

しかし、実務を担う弁護人の活動を通じて見えてくるわが国の刑事手続は、『身体不拘束の原則』(無罪推定の法理の帰結)、『武器対等の原則』(被疑者・被告人の防御権の実効的保障と公平な裁判の実現に不可欠)という、憲法の理念や国際人権自由権規約などから貫徹されるべき刑事手続上の原則からは、今なお、ほど遠い現実である。

逮捕された被疑者にとって、その直後の最も弁護人の援助を必要とする時期における国選弁護人の保障が存在しない。また、黙秘権の保障が徹底されず、取調べに先立っての弁護人の助言や取調べの際の弁護人立会が保障されていない。取調べの可視化(取調べ全過程の録画・録音)は法制化されたが一部の事件に留まっている。取調べにおける弁護人立会が実現した希少な例はあるものの捜査機関がこれを受け入れる姿勢には程遠い。そして、捜査の密行性と捜査妨害のおそれの強調の結果として、依然として高い勾留率が維持され、勾留に関する裁判での手続的な保障が極めて乏しい。冤罪を防止し、かつ、被疑者・被告人の防御権を行使するに必須の証拠開示が公判前整理手続に導入され拡充はされつつあるものの、限定的で全面的開示には至っていない。

既に、イギリス及びEU諸国では、2000年代に入ってのEU指令により弁護人アクセス権の保障が確立され、取調べに先立っての弁護人との接見、取調べにおける弁護人の立会、弁護人がいない場合の国費による弁護人選任が実施されている。また、隣国の韓国や台湾でも、勾留質問時における弁護人関与や取調べにおける弁護人立会が実現している。

わが国の刑事手続の現状を変えていかなければ、被疑者、被告人の権利保障が国際的な水準に追い付かないことは明白である。刑事弁護人及び弁護士会は、改めて、わが国において憲法や国際人権法の理念に沿った刑事司法手続が実現するよう制度の改革を求め、以下に掲げる課題については、すみやかにその改革を達成するべく、全力を挙げて取り組む必要がある。

 

1 逮捕直後からの国選弁護制度の実現

2 取調べにおける弁護人の援助を受ける権利の保障

⑴ 取調べに先立って弁護人の助言を受ける権利の確立

  ⑵ 取調べにおける弁護人立会権の確立

 3 取調べの可視化(取調べ全過程の録画・録音)の全事件への拡大

 4 身体拘束制度の改革

   勾留質問における弁護人立会権の確立

   勾留裁判の多様化(勾留代替措置の導入)

   起訴前保釈の制度化

   権利保釈除外事由の見直し

 5 証拠開示のさらなる拡充(全事件における証拠開示請求権の確立)

 

2 制度改革に取り組む必要性(総論)

 日弁連は、今から35年前の1989年、松江で開催された人権大会で刑事訴訟法40周年宣言を発した。40周年宣言は、わが国の刑事手続が、日本国憲法の理念、世界人権宣言、国際人権自由権規約等の国際人権法に反する憂慮すべき現状にあることを繰り返し指摘している。具体的には、①不当・違法な身体拘束の横行、②無制約・長期間・長時間の取調べ、③捜査段階における国選弁護制度の不在、④公判中心主義の形骸化による調書裁判と自白偏重、⑤証拠開示制度の不在などである。そして、同宣言は、憂慮すべき現状を打開し改革するには、現状を是とする裁判所や検察官にはおよそ期待できず、弁護人及び弁護士会が主体的に積極的な働きをすべきであるとして、「現在の刑事手続を抜本的に見直し、制度の改正と運用の改善を図るとともに、各弁護人に情報・資料を提供し、刑事弁護の一層の充実強化をはかるための機構を設置するなど、あるべき刑事手続の実現に向けて全力を上げてとりくむものである」と締めくくっている。そして、これを受けて、1990年に日弁連に刑事弁護センターが設置され、1990年から1992年にかけて全国で当番弁護士制度が発足した。

 その10年後、日弁連は、1999年前橋で開催された人権大会で刑事訴訟法50年の宣言を発した。50周年宣言は、松江人権大会以降の刑事手続の現状を踏まえつつ、21世紀を迎えるにあたっての刑事手続改革の展望を切り開こうとしたものであった。折しも、同年7月、内閣に「司法制度改革審議会」が設置され、ようやく司法改革の論議が始まった時期であった。この宣言で日弁連が求めた具体的改革課題は、①当番弁護士の実績を踏まえた国費による被疑者弁護制度の導入、②捜査(取調べ)の可視化、③市民の司法参加(陪・参審制度の導入)、④証拠の事前の全面開示、⑤人質司法の打破、⑥代用監獄の廃止、⑦公判審理の活性化であった。そして、松江人権大会同様、憲法の理念に適い、国際人権法の水準に見合った刑事司法改革を目指すものであった。

 その後、司法制度改革審議会は、20016月に最終意見書を提出し、刑事司法に関して、①市民の司法参加となる裁判員制度、②その準備手続としての公判前整理手続、③その手続内での証拠開示の制度化、④被疑者国選制度の導入等を提言し、これらは2004年に法律となり、公判前整理手続は200511月、被疑者国選は200610月、裁判員裁判は20095月に施行された。まさに、1949年施行の現行刑事訴訟法の初めての大改革であり、日弁連前橋人権大会での刑訴法施行50周年宣言の内容の一部実現という意味でも十分に意義のあるものであった。しかし、日弁連が主張していた取調べの可視化、人質司法打破には全く制度的改革が及ばす、証拠の全面的開示には至らない内容であった。

 そして、日弁連が、取調べ可視化の実現など2004年改正で実現できなかった課題への取り組みを行う中、21世紀に至ってもなお氷見事件、志布志事件等の冤罪事件が発生し、足利事件、布川事件等の無期懲役の罪での冤罪事件も発覚した。さらに2010年、厚生労働省での冤罪事件(村木事件)が起こり、検察官の証拠の捏造まで明らかとなって、2011年に取調べの可視化の制度化を軸とした法制審議会での議論が開始された。その結果、2016年に戦後2度目の刑事訴訟法の大改正が行われた。

2016年改正の内容は、①取調べの録画・録音の導入、②被疑者国選の全勾留事件への対象拡大、③証拠の一覧表交付など証拠開示の拡充、④裁量保釈にあたっての考慮事項の明確化などである。日弁連が長年にわたり指摘してきた取調べに対する規制が導入されるなど刑事手続の大きな転換を図る契機となる意義ある改革であった。しかし、取調べ可視化の対象事件が裁判員裁判対象事件と検察独自捜査事件の一部にとどまったこと、逮捕段階での国選弁護制度の導入が見送られたこと、証拠一覧表の開示も証拠開示に有効に機能する設計となっていないなどの限界を有していた。他方で、捜査・公判協力型の司法取引や刑事免責制度の導入、弁護人にも証人の氏名等を秘匿するなどの被害者や証人の保護を図る措置の導入は、弁護人に新たな課題をつきつけている。また、通信傍受の要件の緩和と範囲の拡大は捜査権限の一層の拡大をもたらしている。

 前橋人権大会での刑事訴訟法50周年宣言(新しい世紀の刑事手続を求める宣言)から、既に25年が経過している。その間、2004年改正、2016年改正の2度の刑事訴訟法の大改正を経て、裁判員裁判、被疑者国選、取調べの可視化、証拠開示の制度化など、刑事司法手続が大きく変容した。また、われわれが人質司法と称する現実は、抜本的改革はなされずに推移しているものの、裁判員裁判導入に伴う裁判所の運用によって、2003年以降、保釈率においても勾留請求却下率においても、改善の方向には向かっている。

しかし、松江人権大会での刑事訴訟法40周年宣言以来、日弁連が求め続けてきた、憲法の理念に適い、国際人権法の水準に見合う刑事司法手続が実現しているとはとうてい言い難い現状は、今なお続いている。

 外国に目を転ずれば、イギリスでは、逮捕された被疑者が警察署に引致された場合には、直ちに法律扶助を利用した弁護人を依頼することができる。依頼を受けた弁護士は、コールセンターを通じての通知後、45分以内には被疑者との接見を行うよう要請する実務規範に従い活動する。そして、弁護人は警察署に赴いて、被疑事実の要旨と被疑事実を裏付ける一定の証拠の開示を受けた上で、警察の取調べに先立って被疑者と面談して供述に関する助言を行い(黙秘するか、供述する場合には何を供述するか等)、その後取調べに立ち会うことが保障されている。取調べは全件・全過程が録音(近年は録画も増加している)される。また、アメリカでは、逮捕され警察署に引致された被疑者は、警察での取調べに先立ってミランダルール告知がなされる。ミランダルール告知の内容は、①黙秘権があること、②黙秘するかどうかは自由だが、供述した内容は公判で不利益な証拠として用いられることがあること、③取調べの際、弁護人に立ち会ってもらう権利があること、④弁護人を依頼する経済的余裕がない被疑者には、請求すれば、いかなる取調べにも先立って弁護人が選任されることの4点である。アメリカでは、ミランダ告知を受けた被疑者が弁護人を請求すると言えば、警察での取調べは行われない。また、被疑者が黙秘権行使をすれば、取調べは行えない。

イギリスでは、逮捕された被疑者は24時間後にはマジストレートコートに引致されて、裁判官による拘束の適否の審査を受ける。マジストレートコートにも弁護士が待機して拘束適否の審査に立ち会う。また、この段階で弁護人の付いていない被疑者には裁判官が弁護人を付ける(当番弁護士が裁判所に待機している)。そして、金銭を担保とする保釈、金銭の保障を不要とする保釈等も実施され、この時点における身体拘束解放率は、日本との比較で著しく高い。また、アメリカでは、逮捕から2448時間以内には裁判官の前に引致され、ファーストアピアランスという手続を経るが、この場面で弁護人依頼権が保障され、被疑者が弁護人を請求すれば、裁判所が弁護人を付けている。そこでの弁護人の活動は、身体拘束からのすみやかな解放であり、イギリスと同様に保釈を含めてこの時点での身体拘束からの解放率は日本との比較で著しく高い。さらに、わが国の刑事訴訟手続と類似の制度をとる韓国においても、刑事訴訟法で国際人権自由権規約と同趣旨の身体不拘束の原則を明記した上、裁判官による勾留質問の際には弁護人立会を必須の要件とし、そのための国選弁護人(国選専担弁護士)を準備している。また、勾留後の拘束適否審査制度が設けられて、実質的な起訴前保釈として機能している。日本との比較での身体拘束からの解放率は著しく高い。

 このような諸外国の状況(国際水準)との比較で、わが国の現状はなお憂慮すべき状況にあると言って良い。

 

3 制度改悪に取り組む必要性(各論)

⑴ 逮捕直後からの国選弁護制度

弁護人は被疑者・被告人の援助者である。特に日常生活から突然、人的交流と情報の収集がいっさい遮断される身体拘束下に置かれた被疑者にとって、弁護人の役割は極めて重要である。身体拘束を受けた被疑者の弁護人は、まず、被疑者が直面する捜査官による取調べの適正さを確保し(事実を否認する場合にはその要請が特に強い)、取調べにどのように対応するかの適切なアドバイスを行う必要がある。また、身体拘束による不利益を回避するため、できるだけ早期の解放を図らなければならない。さらに、不起訴や起訴後の公判を睨んでの証拠収集を含む防御の活動が必須である。そして、接見等禁止を受けた被疑者の場合にはとりわけ、被疑者と家族・社会との繋がりを維持する役割をも担う。

2004年の刑事訴訟法改正により短期1年以上の事件で始まった被疑者国選弁護は、20095月に長期3年を超える事件に拡大され、20186月から勾留された全ての被疑者を対象とすることになった。この間の被疑者国選弁護は、勾留請求却下率の向上、不起訴率や略式起訴の増加などに見られるように確実に成果を挙げてきた。しかし、2016年改正でも勾留状発付以降の被疑者に限定され、最も弁護人の援助を必要とする逮捕直後に被疑者国選制度がない。逮捕直後は、取調べを受ける被疑者、とりわけ否認する被疑者にとって、自白を迫る捜査官と対峙しなければならない危機的状況のときである。逮捕による精神的動揺、日常生活から突然遮断されたことによる不安は、防御主体としての地位を危うくする。歴史的に見ても、この時期の虚偽自白が圧倒的に多い。この時点での弁護人の援助の必要性は極めて高いのである。現状では、弁護士会による当番弁護士の出動と刑事被疑者援助制度によって賄われているが、憲法34条の趣旨からしても、逮捕直後からの弁護人付与が国家によって保障されなければならない。

既に逮捕直後の弁解録取のときから捜査機関による録画が実施されている。しかし、この時期は、被疑者に弁護人が付くことが保障されておらず、現に弁護人不在が圧倒的である。録画により相応の取調べの適正の確保はなされるものの、被疑者にとって、逮捕直後の精神的動揺の続く中、強制的雰囲気の伴う身体拘束下の取調べでは、弁護人の法的援助がなければ、その後の手続全体を見通しての対応をすることはまず困難である(1966年のミランダ判決の理由はここに存する)。そのため、被疑者が不本意な供述をし、それがそのまま録画物となることもあり得る。この観点からも、逮捕直後から弁護人が選任され、後述するように取調べに先立って弁護人の助言を受ける必要性と取調べにおける弁護人の立会の必要性が一層強くなっているといわなければならない。

⑵ 取調べにおける弁護人の援助(取調べに先立つ助言と取調べの立会)の必要性

2006年以降の捜査機関の運用による取調べの録画や苦情申立制度の確立などによって、被疑者へ直接の暴力、脅迫、露骨な利益誘導などの取調べは著しく減少することとなった。しかし、身体拘束下の取調べそれ自体が、被疑者からすると強い圧迫であり、強制的雰囲気を抱かざるを得ないものである。被疑者がこれを払拭して黙秘権行使を含む自由な供述を確保することは困難である。そのためには取調べに先立って弁護人の助言を受けることが何よりも必要であり、その上で弁護人が取調べに立ち会って具体的尋問に即応して助言を受けることも必要となる。

欧州人権裁判所は、2008年、「弁護人へのアクセスは、具体的事情からみて、その権利を制約すべきやむにやまれぬ理由が立証された場合を除き、原則として警察による最初の取調べの時点から保障されなければならない。……取調べが弁護人へのアクセスなくして行われ、それによって採取された自己負罪供述が有罪認定に用いられるときは、防御の権利は、原則として回復不可能なまでに害されることになる」と判示した(サルドゥス判決、20081127日)。この趣旨に基づき、EU諸国の多くは、取調べに先立って弁護人の援助を受ける権利の保障をしてきている。

また、その後の取調べにおいても、弁護人が立ち会うことが保障され、現実に行われている。そして、イギリスの場合には、取調べに立ち会った弁護人が被疑者に替わって答弁することは出来ないがそれ以外の方法で取調べに介入することの制約はないという運用がなされている。具体的には、被疑者が答弁をするにあたり、弁護人と相談したいと言えば、取調べ警察官が取調室から退去するというし、また、取調官が何とか被疑者の供述を引き出したいと繰り返し同じ質問をするようなことがあれば、捜査官に抗議してストップさせることなどの活動が行われている。

弁護人の取調べにおける立会は、イギリスやEU諸国だけではなく、東アジアの韓国や台湾でも既に実現している。

また、わが国においては、後述するプレサンス事件において、取調べが可視化されている状況においても検察官の不適切な取調べにより虚偽自白が採られており、弁護人立会の必要性があることを認識させられる事件が生じている。

⑶ 取調べの可視化の全事件への拡大

わが国では、死刑が確定した事件で、1989年代に再審無罪判決が相次いだ。これらの4事件(免田、財田川、松山、島田事件)はいずれも、「密室の取調べ」による「虚偽の自白調書」が、誤判の原因となった。21世紀になって明らかとなった再審無罪事件である氷見、足利、布川事件も、虚偽の自白調書が存在した。厚生労働省村木事件での共犯とされた係長に虚偽自白があり(村木事件の10年後に起きたプレサンス事件は、第2の村木事件というべきもので共犯者とされた者の虚偽供述により東京證券取引所一部上場の不動産会社代表取締役が訴追され無罪となっている)、また、そのころ、パソコン遠隔操作事件における被疑者4人のうちの2人に虚偽自白があった事実もある。

また、公訴事実を認めている事件にあっても、動機や経緯等について不本意な供述調書が作成されることは日常的に存在する。捜査官が供述に忠実な調書作成をいかに心がけても、供述録取書はその形式において捜査官の主観的思いが色濃く反映する作文であることは疑いようもない。

このように、逮捕・勾留された被疑者は取調室に出頭・滞在し、取調べを受ける義務があるとの実務における取調受忍義務(刑事訴訟法198条但書の反対解釈)の下で、多くの虚偽の自白調書が作成されてきた。その歴史的な経緯に鑑み、これまでのわが国の弁護人の捜査段階での活動は、とりわけ、虚偽の供述調書の作成防止に主眼がおかれ、そのための取調べへの対応に関するアドバイスが重要な任務となっていた。

弁護人は、自白強要を防ぎ、強要が行われた場合に対処するため、「被疑者ノート」を被疑者に差入れ、可視化申入書を捜査機関に提出し、弁護人の接見ノートへの克明な記載等を行ってきた。そして、実際に被疑者に対する違法・不当な取調べが行われたときには、電報・抗議文の送付、勾留に対する準抗告申立書への記載、勾留理由開示での意見陳述、接見室での暴行の痕跡の写真撮影、刑事訴訟法179条に基づく証拠保全の申立て等を行ってきた。さらに、2008年以降は、検察庁にも警察にも、苦情申立てに関する取扱い規定が整備され、弁護人は捜査機関に苦情申立てをして、違法・不当な取調べを防止することが必要となった。弁護人が、抗議・苦情申立てなどをしていないことが、自白の任意性を肯定する事情として裁判所に評価されることを考慮すれば、これらは弁護人の義務ともなっている。

しかし、いかに最善の弁護活動があっても、「密室の取調べ」を第三者が検証できるシステムを構築しないかぎり、捜査機関による不適正な取調べと虚偽の自白調書作成を防止することは困難である。取調べの可視化は、「密室での取調べ」をオープンなものとし、捜査官による違法・不当な取調べを防止する抜本的で有効な手段である。

20196月から法律に基づく制度となった取調べの可視化は、その意味で極めて意義のある改革である。しかし、その対象事件は裁判員裁判事件と検察官独自捜査事件にとどまっている。また、広範な例外規定も存在する。虚偽自白の強要はどんな事件にも生じるのであり、全ての事件における取調べにおいて、その適正が確保されなければならない。例外的ではあれ、公判での自白調書の任意性が争われた場合の立証手段としても捜査機関への全事件・全過程の録画義務付けが必要である。そして、録画のない中で作成された供述調書の証拠能力は認めない制度とするべきである。また、適正な取調べの確保は被疑者に限られないから、参考人の取調べにも拡大されるべきである。

⑷ 身体拘束からの解放

無実であるのに逮捕される場合が往々にしてある。また、被疑事実は争いないものの身体拘束する必要はないと思われるのに安易な逮捕・勾留が行われる例がしばしばある。これらを厳密にチェックし、違法・不当な身体拘束から被疑者を解放する重大な職責が弁護人にはある。しかし、この領域での弁護人の活動はなかなか成果を挙げるのが困難である。身体拘束率が極めて高く、勾留請求を却下するよう求めても、勾留に対する準抗告をしても、さらには勾留取消請求をしても、なかなか裁判所が認容しない。

日弁連は、捜査機関が否認すれば身体拘束が長期化する状況を利用して自白の強要を行い、裁判所が司法手続を国家に都合の良い方向に導こうとする動きを「人質司法」と批判し、その打開のための運動を行ってきた。しかし、保釈率の一つをとってみても、1970年代半ば以降は低落を続けて2003年には126%という、権利保釈が存在しなかった旧刑事訴訟法下に等しい数値にまで低下した。否認事件では第1回公判期日前の保釈はほとんど認められず、判決で無罪・執行猶予・罰金の言渡しを受けた被告人も、相当数が保釈されないまま判決を迎える事態が多い。

そのような中、裁判所は裁判員裁判の導入を前にして、運用での改善を図ろうとした。2006年、『ジュリスト』論文で、当時の大阪地裁令状部総括裁判官が運用の改善を提唱したのはその表れである。それ以降、司法統計年報による保釈率も勾留請求却下率も、少しずつ上昇している。その結果、わが国の身体拘束の状況は底となった2003年ころと比較すれば、相当に改善されつつある。とはいえ、数値的に見るとなお限定的である。裁判所が捜査機関による身体拘束下での自白獲得の取調べを追認してきた現実は、近年に至ってもそれほど変わっているように見受けられない。

この20年間における韓国での身体拘束状況の劇的な変化と比較するにつけ、わが国の弁護人が違法・不当な身体拘束からの解放を求めて、現行法の枠内で手続を実践するだけでは限界がある。権利保釈除外事由の見直しや起訴前保釈の制度化はもとより、勾留・保釈の現状を国際人権自由権規約で求められた『身体不拘束の原則』の水準に変えていくには、抜本的な制度改革が必須である。

わが国における勾留実務での問題点を少なくとも2つ指摘することができる。一つは、勾留決定及び勾留再審査における対審構造による審査がないという手続上の問題である。今一つは、起訴後の保釈と異なって起訴前には勾留するか否かの二者択一しかなく、裁判所等への出頭確保のための保証金の提供を含む条件を付した釈放措置など勾留の代替措置がないことである。

わが国においては、供述に依存した捜査が行われ、供述証拠の獲得が捜査の重要な柱とされ、被疑者の身体拘束が取調べと結合し、取調べが捜査の中核として位置付けられてきた。そして取調べの妨げとなる事由が、「罪証隠滅のおそれ」として、勾留を継続させる大きな理由とされた。そして、勾留の判断において、被疑者が嫌疑を否認し、また、供述を拒んだことが、被疑者の「罪証隠滅のおそれ」の徴表とされてきた。

したがって、このような実情を踏まえると、韓国が、刑事訴訟法に『身体不拘束の原則』を明記したように、わが国においても、刑事訴訟法に勾留に関する原則の確認条項を置いて、運用の改善が図られるべきである。その上で、勾留裁判や勾留再審査の場面の法的手続を変える必要がある。

わが国においては、逮捕に対する刑事訴訟法上の不服申立手段は準備されていない。その後の裁判官面前への引致までの時間が最大72時間もの長さであることを考えると、被逮捕者の救済手段がないことは、それ自体問題であるが、被疑者にとっては、その後の10日間の身体拘束の決定手続である勾留質問が、とりわけ重要な意義を持つ。裁判官のコントロールを有効に機能させるためには、勾留質問における弁護人の立会い、その際の弁護人への重要事項の証拠開示、弁護人の意見陳述権が認められるべきである。

欧州人権裁判所は、2001年、「拘禁に対する不服申立てを審査する裁判所は、司法手続としての手続保障を提供しなければならない。手続は対審的なものでなければならず、両当事者、すなわち検察官と被拘禁者との間の「武器対等」を、常に確保するものでなければならない。弁護人が依頼人の拘禁の正当性を効果的に争うことを保障するには、証拠へのアクセスを否定することはできない、口頭審理が必要であり、検察官と弁護人の双方が相手方当事者によって提示された主張と提出された証拠の内容を了知したうえ、それに対する意見を述べる機会が必要である」と判示した。この判示は、事後的司法審査における手続保障を論じたもので勾留決定の場面とは異なる。しかし、わが国においては、72時間拘束可能な逮捕前置主義がとられ、勾留は裁判官が行うことを考慮すれば、勾留の裁判の場面は逮捕に対する司法審査の側面を有するから、欧州人権裁判所の判例にならって、勾留質問の段階で、弁護人の立会い、拘禁の重要事項にかかわる証拠開示、弁護人の意見陳述権が保障されるべきである。

韓国では、既に、勾留状発付における弁護人の立会い(韓国では国選専担弁護士制度を創設して弁護人がいない場合には国が弁護人を付することになっている)、一定の証拠開示、弁護人の意見陳述を保障する制度を実現している。そして、勾留請求の棄却率が、20%を超えているのである。

また、勾留に対する準抗告においても、勾留決定後の勾留取消請求においても、勾留質問の際と同様の対審化が図られるべきであり、現に、韓国では「拘束適否審査」の際の手続として実現している。

さらに、勾留決定や勾留再審査の場面において、勾留に代わりうる措置を準備するべきである。わが国では、起訴前には勾留するか釈放するかの二者択一しか選択肢がないので、身体拘束をするには被疑者の不利益が大きすぎ、比例原則からすると拘束の必要がないと思われる事案であっても、罪証隠滅の疑いを理由に勾留が続けられてきた。しかし、勾留という手段を用いなくても身体拘束の本来の目的である出頭の確保は可能であり、身体拘束をできる限り回避すべきであるとの観点からは、勾留に代替する手段を創設し、これを勾留決定、勾留再審査、勾留取消の場面で活用するべきである。そして、代替措置と保証金の納付(起訴前保釈)とを組み合わせることにより、その措置の実効性を高めることができる。被疑者に対して、一定の期間を定めて、住居の制限、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族への接触の禁止、特定の場所への立入りの禁止その他罪証の隠滅又は逃亡を防止するために必要な命令を出し、併せて適当な保証金を納付させることもできるなどの勾留代替措置が考慮されるべきである。

⑸ 証拠開示の拡充

 現行刑事訴訟法においては、当事者主義を前提とした上での捜査の密行性と検察官の公益性の強調によって、起訴前における被疑者側への証拠開示は全く認められていない。しかし、前記のとおり、被疑者の弁護人の援助を受ける権利(被疑者の防御権)を保障する手段としての取調べに先立つ弁護人の助言を受ける権利や取調べにおける弁護人立会権をより充実させ実効あらしめるためには、起訴前の捜査の段階における証拠開示の必要性は極めて高い。また、勾留質問における弁護人の立会いと意見表明の手続を実効あらしめるためにも、捜査機関における証拠開示の必要性が存する。勾留質問手続における弁護人の立会いを保障する諸外国(EU諸国、アメリカ、韓国)では、その時点における一定程度の証拠開示が行われている。

 また、起訴後の証拠開示に関しても当事者主義及び検察官の公益性の観点から、現行刑事訴訟法には証拠開示に関する規定が盛り込まれなかった。そして、最高裁昭和341226日決定にみられるように、法律上の根拠がないことを理由に裁判所が検察官に対して証拠を開示するよう命じることはできないとする判断が示された。この判断は、裁判所の訴訟指揮権に基づき検察官に証拠開示命令ができるとする最高裁昭和44425日決定により覆されることになり、それ以降、昭和44年決定が2004年の刑事訴訟法改正に至るまで、わが国の証拠開示の運用基準とされることになった。しかし、昭和44年決定で示された基準は、幾つものハードルの高い要件があり、被告人の防御権行使の観点からは、極めて不十分であった上に、裁判所が開示を相当と判断した場合であっても、検察官に対して勧告はするが開示命令までは発しないという姿勢に終始して、実際には訴訟指揮権を発動しないという現実の前にあって、証拠開示の運用はほとんど空洞化した状況にあった。

 このような状況に変化をもたらしたのが、2004年における刑事訴訟法改正である。2004年の改正は、被告人・弁護人に証拠開示請求権を正面から認め、検察官の不開示に対する裁判所への裁定請求、裁判所の決定に対する即時抗告などを規定して、その権利性を明確にした。また、公判段階での特定の証拠に対する証拠開示しか認めていなかった最高裁昭和44年決定とは異なり、公判前整理手続の段階での類型的な「識別し得る証拠」の開示が認められることになった。

 現行刑事訴訟法制定以来、55年以上にわたる証拠開示の冬の時代からすれば、公判前整理手続に付された一定の事件に限定され、また、弁護人の技能・力量に依存することが大きいとの問題はあるにせよ、画期的な改正であったことは間違いない。

 そして、2016年には、上記の証拠開示制度を維持しつつ、これを一歩進める検察官による証拠一覧表の開示と類型証拠の一部の拡大を伴う法改正が実現した。証拠一覧表の開示は、証拠開示の手掛かりとなり、全面的開示の契機になり得るものである。しかし、実際には、標目の記載が、例えば「捜査報告書」とのみ記載されて、その内容が推知されないものが圧倒的に多いなど、その手掛かりにすらならないという問題が指摘されている。

以上が、証拠開示の実務の現状である。しかし、証拠開示は、被疑者・被告人の弁護人の援助を受ける権利(憲法34条、憲法373項)及び手続的公正(憲法31条)から導かれる被疑者・被告人の憲法上の権利というべきであり、公判前整理手続の中に組入れられて、検察官の主張・立証との対比で、その主張・立証を検証する範囲で開示を認めれば十分ということにはならないはずである。防御の観点からは、検察官の視点に捉われることなく、被疑者・被告人の視点からの全ての証拠の点検が必要である。

そうすると、証拠開示は、公判前整理手続に組み入れられる必然性は全くなく、公判前整理手続を経ない事件においても制度として確立されるべきである。また、その範囲も捜査機関の全ての証拠にアクセスできるものとしなければならない。

 そのような全面的な証拠開示に至る過程として、証拠一覧表の標目の記載方法の変更を求め、弊害を想定し得ない類型証拠開示の拡大を図るなどの改正手順を踏むのも、実務的には一つの方策と言い得る。

 それらと併行して、早急に解決を図るべきは再審請求手続における証拠開示請求であり、その理は、これまで述べたところと同一であろう。

以 上

 

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